2023年10月31日火曜日

「テモテへの第一の手紙」ガイドブック 牧会書簡(その3)

「テモテへの第一の手紙」ガイドブック

牧会書簡(その3)

牧会書簡を書いたのは? 

 

結局、私たちは次に挙げる三つの説のうちのどれかを

選ばなければならないでしょう。

 

1)伝統的な見解のいう通り、牧会書簡はパウロの純正の手紙であり、

60年代の中頃に書かれたものである。

教会教父のうち誰一人として

これらの手紙がパウロの書いたものであることを疑った者はいなかった。

 

2)牧会書簡は私たちには知られていないパウロの弟子が

小アジアで100年頃に書いたものである。

 

3)1)と2)の中間の説。

すなわちパウロの純正の手紙の部分に付加された部分がある。

その際、おそらくパウロにかかわる口承も手紙には取り入れられている。

 

牧会書簡は聖霊様の導きによって新約聖書に正典に加えられました。

それゆえ、これらの手紙の教えは、

実際に書いたのが誰であったかにはかかわりなく、

すべてのキリスト信仰者に対してそれに従うように命じているもの

ということになります。

 

このガイドブックの著者として私(パシ・フヤネン)は、

かつてスェーデンのルーテル教会のビショップ(教区長)だった

神学者Bo Giertzと同様に、

「牧会書簡ではパウロ自身が語っている」

という立場から書き進めることにします。

 

牧会書簡三通の書き手は同じ人物です。


ここでかりにパウロが代筆者を用いたとしましょう。

そしてパウロが代筆者にかなりの自由を与えたとすれば、

代筆者自身の文体などがこれらの手紙の中に反映されていることになります。


その場合、代筆者としては

例えばルカ(「テモテへの第二の手紙」4章11節)やテキコ

(「テモテへの第二の手紙」4章12節、「テトスへの手紙」3章12節)

が候補に上がってきます

(代筆者の問題をめぐる類似のケースとして

「ペテロの第一の手紙」5章12節も参考になります)。

 

パウロは一部の手紙では彼以外のもう一人の差出人を明記しています。


例えばテモテはパウロの六通の手紙のもう一人の差出人となっています

(「コリントの信徒への第二の手紙」1章1節、

「フィリピの信徒への手紙」1章1節、

「コロサイの信徒への手紙」1章1節、

「テサロニケの信徒への第一の手紙」1章1節、

「テサロニケの信徒への第二の手紙」1章1節、

「フィレモンへの手紙」1節)。


パウロの手紙のテモテ以外のもう一人の差出人としては

ソステネ(「コリントの信徒への第一の手紙」1章1節)、

シラス(「テサロニケの信徒への第一の手紙」1章1節、

「テサロニケの信徒への第二の手紙」1章1節)がいます。


なお「テサロニケの信徒への第二の手紙」1章1節では

差出人はパウロとテモテとシラスの三人になっています。

 

パウロの他にも差出人がいたにもかかわらず、

上記の手紙はすべて「パウロ」の手紙です。


パウロは「わたしたち」や「わたし」という言葉を

両方用いている場合もあります

(例えば「テサロニケの信徒への第一の手紙」では2章18節(わたしたち)、

3章1節(わたしたち)、3章5節(わたし)、5章27節(わたし)、

「テサロニケの信徒への第二の手紙」では3章4節(わたしたち)、

3章17節(わたし))。