2019年5月8日水曜日

「ペテロの第一の手紙」ガイドブック 5章1〜5節 教会とその牧者(長老)たち(その2)

 「ペテロの第一の手紙」第5章 

5章1〜5節 教会とその牧者(長老)たち(その2)

現代人は一般的に権威を嫌う傾向があります。
彼らは指導者の教えに気に入らない点があると、
その指導者の率いるグループの一員にはなりたがりません。
ですから、
現代のキリスト教信徒の多くが教会の職制について拒絶反応を示すのは、
とりたてて不思議なことではありません。

「聖書が教えているのは教会の職制についてではなく、
個々の多様な職務についてだけである。
そして、それらの職務を果たすのは、
その任を委ねられた人ならば誰であろうとかまわない」
といった主張をする人も大勢います。

しかしながら「ペテロの第一の手紙」のこの箇所に加えて、
とりわけ「使徒言行録」20章は、
聖霊様が教会の責任を委ねるために
「ある特定の人々」を教会の職に任命することを明確に教えています。

このことからわかるように、
たとえば「教会に説教職を設定なさったのは神様御自身である」
と教える「ルーテル教会信条集」(ルター派の教義をまとめた書物)は、
この問題に関しても聖書に明記されていることがらに忠実なのです。

「旧約聖書の「祭司」と新約聖書の「牧師」との間には
どのような相違点があるのか」という問題が注目を浴びるのはきわめて稀です。

旧約の世界における祭司は、祭壇に犠牲を捧げる役目を務めました。
イエス・キリストは大祭司であり、
御自身を唯一の犠牲として捧げることによって
他のすべての犠牲の捧げ物を不要なものとなさいました。
このことに基づいて成立した新約の世界にはもはや旧約の祭司は存在しません。
新約の世界に残されたのは、
キリスト信仰者全員に共通する「万人祭司」としての使命です
(「ペテロの第一の手紙」2章9節)。
すなわち、キリスト信仰者は皆、
神様の大いなる御業を宣べ伝えるために「祭司」として選び分かたれている、
ということです。

旧約の犠牲を捧げる祭司職はすでに消滅しています。
しかしその一方で、
神様はキリスト教会に牧者すなわち牧師の職制を定めてくださいました。
新約聖書ではこの職制を
「監督」や「長老」など様々な用語によって説明しています。
以下に例をあげます。

「さて、監督は、非難のない人で、ひとりの妻の夫であり、
自らを制し、慎み深く、礼儀正しく、旅人をもてなし、
よく教えることができ、酒を好まず、乱暴でなく、寛容であって、
人と争わず、金に淡泊で、自分の家をよく治め、謹厳であって、
子供たちを従順な者に育てている人でなければならない。
自分の家を治めることも心得ていない人が、
どうして神の教会を預かることができようか。
彼はまた、信者になって間もないものであってはならない。
そうであると、高慢になって、悪魔と同じ審判を受けるかも知れない。
さらにまた、教会外の人々にもよく思われている人でなければならない。
そうでないと、そしりを受け、悪魔のわなにかかるであろう」
(「テモテへの第一の手紙」3章2〜7節、口語訳)。

「キリスト・イエスの僕たち、パウロとテモテから、
ピリピにいる、キリスト・イエスにあるすべての聖徒たち、
ならびに監督たちと執事たちへ」
(「フィリピの信徒への手紙」1章1節、口語訳)。

「あなたがたの中に、病んでいる者があるか。
その人は、教会の長老たちを招き、
主の御名によって、オリブ油を注いで祈ってもらうがよい」
(「ヤコブの手紙」5章14節、口語訳)。