2019年5月22日水曜日

「ペテロの第一の手紙」ガイドブック 5章1〜5節 教会とその牧者(長老)たち(その4)

「ペテロの第一の手紙」第5章 

5章1〜5節 教会とその牧者(長老)たち(その4)

他の多くの箇所と同じように、
この箇所においてもペテロの言葉は優しさに満ちています。
しかし、そこで取り扱われている内容自体は非常に深刻なものです。
私たちは自分の属する小さなグループの活動を
続けることだけを目的として教会に通っているのではありません。
大祭司イエス様がこの世に再臨なさる時がいつかは必ず訪れます。
そしてその時には、すべての人間は神様に対して
自分自身について申し開きをしなければならなくなります。
次に引用する「コリントの信徒への第一の手紙」3章は、
これと同じ内容をよりいっそう鋭利な表現によって説明しています。

「神から賜わった恵みによって、わたしは熟練した建築師のように、
土台をすえた。
そして他の人がその上に家を建てるのである。
しかし、どういうふうに建てるか、それぞれ気をつけるがよい。
なぜなら、すでにすえられている土台以外のものをすえることは、
だれにもできない。
そして、この土台はイエス・キリストである。
この土台の上に、だれかが金、銀、宝石、木、草、または、わらを用いて
建てるならば、それぞれの仕事は、はっきりとわかってくる。
すなわち、かの日は火の中に現れて、それを明らかにし、
またその火は、それぞれの仕事がどんなものであるかを、ためすであろう。
もしある人の建てた仕事がそのまま残れば、その人は報酬を受けるが、
その仕事が焼けてしまえば、損失を被るであろう。
しかし彼自身は、火の中をくぐってきた者のようにではあるが、
救われるであろう」
(「コリントの信徒への第一の手紙」3章10〜15節、口語訳)。

このように、
それぞれの教会は実際にはどのような要素から構成されてきたのかを、
最後の裁きの時の火が吟味することになります。
どうかこの視点が牧師だけにではなく教会全体にとって
有益な謙虚さを教えるものとなりますように。