2019年1月23日水曜日

「ペテロの第一の手紙」ガイドブック 3章13〜17節 苦難と希望(その1)

3章13〜17節 苦難と希望(その1)

13〜17節でペテロは今までの内容をまとめます。
すなわち、
人々を恐れるあまり主の戒めに反することを行ってしまい、
その結果、いつか神様の怒りに直面しなければならなくなるよりも、
むしろ、神様の御心に従って善い行いをするほうが、
たとえそのために苦しむことになるとしても、より優れた生き方である、
ということです。

もしも私たちが神様の御心に従って生きるのなら、
誰も私たちに危害を加えることはできません。
なぜなら、神様が私たちの面倒をよく見てくださるからです。
パウロもこれと同じ考え方を「ローマの信徒への手紙」で
次のように提示しています。

「それでは、これらの事について、なんと言おうか。
もし、神がわたしたちの味方であるなら、だれがわたしたちに敵し得ようか。
ご自身の御子をさえ惜しまないで、
わたしたちすべての者のために死に渡されたかたが、
どうして、御子のみならず万物をも賜わらないことがあろうか。
だれが、神の選ばれた者たちを訴えるのか。
神は彼らを義とされるのである。
だれが、わたしたちを罪に定めるのか。
キリスト・イエスは、死んで、否、よみがえって、神の右に座し、
また、わたしたちのためにとりなして下さるのである。
だれが、キリストの愛からわたしたちを離れさせるのか。
患難か、苦悩か、迫害か、飢えか、裸か、危難か、剣か。
「わたしたちはあなたのために終日、死に定められており、
ほふられる羊のように見られている」と書いてあるとおりである。
しかし、わたしたちを愛して下さったかたによって、
わたしたちは、これらすべての事において勝ち得て余りがある。
わたしは確信する。
死も生も、天使も支配者も、現在のものも将来のものも、
力あるものも、高いものも深いものも、その他どんな被造物も、
わたしたちの主キリスト・イエスにおける神の愛から、
わたしたちを引き離すことはできないのである。」
(「ローマの信徒への手紙」8章31〜39節、口語訳)