3章13〜17節 苦難と希望(その2)
人が苦しむことになる理由や原因は様々です。
自らの罪のせいで苦しむことになる場合も多いことでしょう。
しかし、もしも私たちが
「キリスト信仰者」であるがゆえに苦しむことになる場合には、
良心の呵責を感じることなく、
正しくあろうとするがゆえに
苦しみを受ける者でありたいものです。
キリスト教信仰については
他の人々に宣べ伝える用意がいつでもできていることが望ましいです。
しかし、その際にも
不必要なほど厳しい話し方をしたり、
喧嘩腰になったりはしないように、
くれぐれも注意しなければなりません。