2018年3月7日水曜日

「フィレモンへの手紙」ガイドブック はじめの挨拶 1〜3節(その2)

はじめの挨拶 1〜3節(その2)


差出人パウロと受取人フィレモンの間柄は良好であったことが
手紙からうかがえます。
自分が「使徒」という地位と権能を有していることを、
パウロはフィレモンに対してことさらに強調する必要はありませんでした。
彼に対してフィレモンが以前から従順だったことをパウロは覚えているからです。
この手紙の実際の受取人として想定されているのはフィレモンという人物です。
彼については詳しいことはわかっていません。
それでも、彼が比較的裕福なキリスト信仰者であったことは容易に想像できます。
彼は奴隷を所有しており、
キリスト信仰者の集会場所として使用できる大きな家屋をもっていたからです。
パウロはフィレモンを
「同労者」(ギリシア語で「シュネルゴス」)と呼んでいます。
フィレモンが教会において特別な任務に従事していたことが、
この表現からわかります。

この手紙では、フィレモンのほかにも二人の人物の名が挙がっています。
彼らのうちで、
アピヤはフィレモンの妻、
アルキポは彼の息子のことを指していると思われます。
新約聖書に収められているパウロの「コロサイの信徒への手紙」には、
「アルキポに、「主にあって受けた務をよく果すように」と伝えてほしい」
(4章17節、口語訳)という一節があります。
教会の職務を委ねられているこの人物は
「フィレモンへの手紙」に登場するアルキポと
おそらく同一人物であると思われます。
パウロはアルキポが彼とテモテにとって「戦友」
(ギリシア語で「シュストラティオーテース」)であると言っています。
この表現もまた、アルキポが教会において特別な職務を委ねられた人物
であったことをうかがわせます。

手紙の受取人には、今まで名前がでてきた三人のほかに、
フィレモンの家庭集会のキリスト信仰者の群れ(教会)も含まれています。
このことからわかるように、
「フィレモンへの手紙」はたんなる私信ではなく、
フィレモンの家に集う信仰者全員に読まれることをあらかじめ想定した
公開書簡だったのです。

フィレモンは自宅を教会の集会所として開放しました。
はじめの数百年の間、各地に点在していたキリスト教会では、
教会員の誰かの家に集まって礼拝するのが一般的でした。
壮麗な教会建造物が出現するようになるのは、
おびただしいキリスト教徒殉教者を生んだ幾多のすさまじい迫害が終焉した後、
ようやく300年代になってからのことです。

「フィレモンへの手紙」のはじめの挨拶を閉じるにあたり、
パウロは恵みと平和とを手紙の受取人全員(「あなたがた」)に願っています。
父なる神様と子なるイエス様こそが、
この恵みと平和の終わりなき源泉になっています。