神様は御心のままに人を選抜なさいます 9章6〜29節(その2)
私たちはパウロのようには
造り主に対してなかなか頭を下げようとはしません。
なぜ神様は人々の石のように堅い心を粉砕する力を、
私たちの福音伝道に与えてくださらないのでしょうか。
どうして私の子どもたちや、配偶者や、友人たちは
福音に興味を示さないのでしょうか。
彼らのために神様に祈りをささげるのを、
私たちは決してやめてはいけません。
私たちは神様の比類なき偉大さを素直に認めて告白するべきなのです。
被造物は造り主に対して反抗するべきではありません。
パウロは、
エレミヤが陶器職人たちの仕事ぶりを観察するために
彼らの仕事場に連れて行かれた旧約聖書の出来事を記します。
職人が自分の作った器に納得できない場合、
その器は再び粘土にされます。
どうしてそのようなことをするのか、
陶器職人は誰にも弁解する必要がありません。
陶器職人が自分の作った器に対してもっているのと同じ権利を、
神様は私たち人間に対してもっています。
パウロがこの章などで扱っている内容の意味を考える上で、
この視点は忘れてはならない大前提です。
私たちが人生を通してそれを学び習得していくのは
決して容易なことではありません。
しかし、
神様が義しい唯一のお方であり、人が皆罪深い存在である、
という真実は変わることがないのです。