2015年9月2日水曜日

「ローマの信徒への手紙」ガイドブック 終わりのメッセージ(8章)


終わりのメッセージ(8章)

富める教会

私たちが教会とその霊的な富について、
本来なら大いに誇るべき理由があるのに誇らしく思わないのは、
一体どうしてでしょうか。
私たちキリスト信仰者は教会について、
大胆に誇るかわりに、むしろぶつぶつ不平を言うことが多くなってしまった、
ということでしょうか。
「神様の子ども」として私たちは、
「教会の主」なる方の所有なさるすべてを、
すなわち教会とその霊的な富とを相続する立場にあります。
にもかかわらず、そのことを忘れ、
あたかも自分がたんなる「教会の居候」であるかのように
振る舞っていることが多いのではないでしょうか。

神様の子どもとして守られている喜びや、
神様の御言葉を学べる喜びを歌うのが、
本来の私たちの生き方のはずです。
こうした内容の歌は、フィンランドの教会では
ペンテコステ(聖霊降臨主日)の賛美歌の中にたくさんあります。
そこで歌われている喜びは、
異教的な生活環境と迫害の只中にあった初期の教会の
キリスト信仰者の生き方の中にも見いだされます。
その時代に書かれた「使徒教父文書」に含まれる
「ディオグネトスへの手紙」の一部を紹介します。

「主のうちには教会の富がある。
主が開いてくださった恵みは、聖徒たちの中で、豊かに増し加わる。
聖徒たちに理解力を与え、奥義を明らかにし、定められた時を示す。
また、信仰者たちの存在を喜ぶ。
この恵みは、主を求める人々、すなわち、
主への誓願を破らずに教父たちが定めた境界線を超えない人々に対して
賜物を与える。
それから、律法を畏れ敬うことが歌の主題となる。
(旧約の)預言書の素晴らしさが知られていくようになる。
福音の信仰がしっかりと根をおろす。
使徒たちが残した代々継承すべき教えが守られるようになる。
そして、教会は恵みにおいて喜び踊る」。

私たち一人一人の抱いている心配事や悩みは、
(お祈りとして)天のお父様の御前にちゃんと伝達されて行きます。
教会とその集会(礼拝)には、
代々継承されてきた教会の霊的な富があり、
聖霊様のくださる喜びがあります。
これは教会のもつ特質です。
ペンテコステ(聖霊降臨主日)が過ぎた後にもこの喜びがなくならないように、
互いに目を覚ましていようではありませんか。


(レイノ ハッシネン)