2014年9月1日月曜日

「ローマの信徒への手紙」ガイドブック 5章12〜21節 二人のアダム(その1)


二人のアダム 51221節(その1)


パウロは、信仰による義についてさらにはっきり教えるために、
アダムとキリストについて話し始めます。
アダムは「古い人」、キリストは「新しい人」にあたります。
ここでは、福音が最高の素晴らしさで示されています。


アダムは、最初の人間であり、同時に全人類の代表者でもあります。
アダムが罪に陥った時、彼と共に全人類の希望もまた潰えました。
すべてはだめになりました。
この出来事の後では、人は皆それぞれ、
始祖であるアダムの遺産として、罪と死とを受け継ぐことになりました。

「原罪」は、人がアダム以来代々継承してきた罪のことです。
私たち人間は、
罪に陥りやすい傾向があるゆえに
正しい方向へと指導矯正されなければならない弱い存在ですが、
それだけにはとどまらず、
私たち人間は誰でも、その歴史の始まりから絶え間なく、
神様に対して強く反抗し続けてきました。
それはちょうど、
人が皆、今までもアダムの子孫であったし、またこれからもそうである、
ということと関係しています。

マルティン•ルターによれば、
人間は神様に背を向けて生まれてきます。
罪は、一人の人を通してこの世に入り込みました。
それをきっかけとして、
死が、人々の日々の生活を脅かす圧制的な存在となりました。
罪からも死からも、自分の力で解放される者は誰もいません。
このように、
私たちが生まれた時に受け継いだ贈り物(原罪)は、実にひどいものです。

教会で幼児に洗礼を授ける理由の一つはここにあります。
ルターが幼児の洗礼式に友人たちを招く時に用いた
「小さな異邦人の洗礼式」という表現は、実に的を得ています。
一人の人間(アダム)の罪の堕落は、
裁きと死とをすべての人間の上に持ち込みました。
このすべての人間の中には、
だっこされている赤ちゃんもお年寄りも、
男も女も、健康な人も病人も、
一様に含まれています。

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