2014年9月8日月曜日

「ローマの信徒への手紙」ガイドブック 5章12〜21節 二人のアダム(その2)


二人のアダム 51221節(その2)



パウロはここで、
キリストが人類にとっての「新しいアダム」である、
と言います。

キリストにあって、
すべて過ぎ去ったこと(「古いアダム」の罪の堕落がもたらした惨状)は
すでに終わっています。
そして、
キリストにあって、
神様の創造および贖いの御業(「新しいアダム」がもたらした罪の赦し)は
瑕のない完全なものとなっています。

一人の人間(古いアダム)の罪の堕落は、
その子孫全体(すなわち、人類全体)の心を汚し、
彼らを神様に反抗させるという甚大な結果を招きました。
しかし、今や、 
一人の人間(新しいアダム)が
父なる神様に対して徹底的な従順を貫いてくださったおかげで、
人間皆が神様の恵みに与ることができるようになりました。

パウロがここで「皆に」と言っているのは、
口先だけのことではなくて、本気でそう書いているのです。

アダムが罪に陥って、
結果的に、アダムの子孫である私たちにまで、
罪と死という厄介な相続物を残してしまいました。
しかし、その時点では、
私たちは罪についても義についても、ほとんど知りませんでした。

それと同様に、
キリストが十字架で「皆に」、すなわち、全人類のために、
神様と人間との間の和解をもたらしてくださったのですが、
その時点では、
私たちは神様の愛についても知りませんでした。