2014年6月4日水曜日

「ローマの信徒への手紙」ガイドブック 4章2〜8節 信仰の父、アブラハム


信仰の父、アブラハム 428
  
 
パウロは、アブラハムと神様との間の関係を深く考究します。
アブラハムが神様の御前で義とされたのは、
彼が神様の律法に従って生きたからでしょうか。

そうではありません。
なぜなら、彼は、
自分が正しく生きたとは一度も自慢していないからです。
それに加えて、聖書は、
「アブラハムは神様を信じました。
主はそれを彼に対して義と認められました」、
と記しているからです(「創世記」156節)。

正しく生きた人は、
誰からも「義と認められる」必要などはないでしょう。
なぜなら、
そのような人はすでに義人のはずであり、
このことに関して信仰が出る幕はないからです。
ところが、今ここで論じられているのは、
信仰の義についてなのです。

パウロによれば、
アブラハムは、神様の恵みに疑いを抱いた時、罪の状態に陥りました。
主はアブラハムに話しかけ、大いなる報酬を約束してくださいました。
それに対して、アブラハムは
「主なる私の神様、あなたは私に何をくださると言うのですか」、
と反抗的に答えます。
「神様は、私がすっかり年老いるまで
跡取り息子をくださらなかったのだから、
他のどんなものをいただいたとしても、私には無益だ」、
と彼は考えたのです。 
アブラハムは、自分が神様に不当に扱われている、と感じています。
それで、反抗的な態度を取ったのでした(「創世記」1516節)。

神様は、
そのようなアブラハムを天幕の外に連れ出して、
彼に満天の星空を見せます。
ちょうど天にたくさんの星があるように、
アブラハムにもたくさんの子孫が与えられることを
お示しになるためでした。
アブラハムは反抗心を捨てて、神様を信じました。

パウロによれば、
この信仰が、アブラハムと神様との間の関係の基本にあります。
神様はアブラハムの反抗の罪を赦し、
その罪を彼自身に負わせることはなさいませんでした。


アブラハムの出来事の教訓は、非常に単純なことです。
たしかに、私たちは罪深い人間です。
しかし、私たちは、
神様のくださる恵みと罪の赦しに信頼することができます。
そして、キリストにしっかりつながっている限り、
私たちも、かつてのアブラハムと同じように、
神様に対する信仰の関係を保って、活き活きと歩むことができるのです。

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