第4回目の集まりのために 「ローマの信徒への手紙」4章
パウロは 義に関する教えを手短じかに紹介しました。
すなわち、
キリストが人類のすべての罪を帳消しにするために
十字架で私たちの身代わりとして死んでくださった
このあがないの御業のゆえに、
ユダヤ人も異邦人も等しく、神様に受け入れていただける、
ということです。
第4章で、パウロは、
ユダヤ人の始祖であるアブラハムもまた、
行いではなく信仰によって、義とされたことを示しました。
これについて書いた時、
パウロは大きな魚(ユダヤ人全員のこと)を一網打尽にしていました。
ユダヤ人は自分を「アブラハムの子」と呼び、
アブラハムの模範に従おうとするからです。
1)この「ローマの信徒への手紙」4章と
「ヤコブの手紙」2章21節とを比較してください。
ヤコブが反対しているのは、どのような考え方でしょうか。
この「ヤコブの手紙」の箇所は、
「ローマの信徒への手紙」4章と調和できるものでしょうか。
2)パウロは、義に欠けている者を義とすることについて語りました。
そして、他のタイプの人々(すなわち、義に欠けていはいない人々)は、
罪の赦しをいただく必要がない、と言います。
ここで考えてみてほしいのですが、
私たちは、「義に欠けている者を義とする教え」を忘れて、
その代わりに、
「聖なる者たちを義とする教え」を信仰生活の中に持ち込んではいませんか。