2013年12月17日火曜日

「ヨハネによる福音書」ガイドブック 19章28~37節 イエス様の死(その2)


イエス様の死 192837節(その2)


イエス様のわき腹から血と水が流れ出た、
と語る「ヨハネによる福音書」は、
ここで何を言いたかったのでしょうか。
様々な説明があります。
イエス様の内側から今や命の水の泉が流れ出るようになったこと
738節)を意味していたのかもしれません。
あるいは、
洗礼(水)と聖餐(血)のことを示唆しているのかもしれません。
または、
十字架の傍らに立っていた証人に強い印象を与えた
この不思議な出来事を読者に伝えたかった、ということもあるでしょう。
この証人が、何らかの形で
「ヨハネによる福音書」の成立に関係していたのは、間違いありません。
たしかにイエス様は息を引き取られました。
しかし、無意味な暴力の犠牲者としてではありません。
イエス様の死の瞬間においてもなお、
万事は神様の御計画の通りに事が進んでいたことを示す
奇跡が起きていたからです。


イエス様が槍で突かれ、釘で打たれ、傷ついた時、
「ゼカリヤ書」1210節の御言葉が成就しました。
旧約聖書からのもう一つの引用箇所は、
「ヨハネによる福音書」にとって、
非常に重要な意味をもつことがらに関係しています。
すなわち、
イエス様は神様が定められた「過越の小羊」である、ということです。
かつて「主の過越」がエジプトに隷属していたユダヤの民を解放したように
(「出エジプト記」12章)、
私たちの罪のためにほふられる「神の小羊」もまた、
罪人たちを暗闇から光へと導き出してくださるのです。