イエス様の死 19章28~37節(その2)
イエス様のわき腹から血と水が流れ出た、
と語る「ヨハネによる福音書」は、
ここで何を言いたかったのでしょうか。
様々な説明があります。
イエス様の内側から今や命の水の泉が流れ出るようになったこと
(7章38節)を意味していたのかもしれません。
あるいは、
洗礼(水)と聖餐(血)のことを示唆しているのかもしれません。
または、
十字架の傍らに立っていた証人に強い印象を与えた
この不思議な出来事を読者に伝えたかった、ということもあるでしょう。
この証人が、何らかの形で
「ヨハネによる福音書」の成立に関係していたのは、間違いありません。
たしかにイエス様は息を引き取られました。
しかし、無意味な暴力の犠牲者としてではありません。
イエス様の死の瞬間においてもなお、
万事は神様の御計画の通りに事が進んでいたことを示す
奇跡が起きていたからです。
イエス様が槍で突かれ、釘で打たれ、傷ついた時、
「ゼカリヤ書」12章10節の御言葉が成就しました。
旧約聖書からのもう一つの引用箇所は、
「ヨハネによる福音書」にとって、
非常に重要な意味をもつことがらに関係しています。
すなわち、
イエス様は神様が定められた「過越の小羊」である、ということです。
かつて「主の過越」がエジプトに隷属していたユダヤの民を解放したように
(「出エジプト記」12章)、
私たちの罪のためにほふられる「神の小羊」もまた、
罪人たちを暗闇から光へと導き出してくださるのです。