2013年10月28日月曜日

「ヨハネによる福音書」ガイドブック 17章20~26節 教会についての祈り(その2)


教会についての祈り 172026節(その2)


このイエス様の祈りのふたつの点が、
私たちの間でも問いかけを生むことを、私たちは期待するものです。

まず第一に、
もしもただひとつの教会が存在することが神様の御心なのだとしたら、
ルーテル教会、ローマ•カトリック教会、ギリシア正教会、
バプテスト教会、ペンテコステ教会などが存在している現実は、
一体どういうことなのでしょうか。
しかも、教会の他にも、
モルモン教、エホバの証人、その他諸々の団体などが存在しています。
たくさんの教会が存在している原因はひとつだけ、すなわち罪です。
人々が神様の真理を捨て去っていることに由来しているのです。
といって、
教会間の垣根を無造作に取り払うことや、
何でもかんでも容認して受け入れることによっては、
決して教会の真の一致を実現できません。
真の一致はキリストの中にあり、その御言葉の中にあります。
ルーテル教会はその信条の中で、
唯一の聖なる使徒的な教会が存在する、
という信仰を告白します
(例えば、ニケヤ信仰告白やアウグスブルク信仰告白第七条「教会」など)。
ルター派の教会は、
それが聖書に書かれている神様の御言葉にしっかり根付いて、
人間が自分で案出した諸々の意見を矯正していく場合には、
教会の真の一致のために、考えられうる限り最高の貢献をすることになる、
と私たちは信じています。


第二に、イエス様は、
御自分に属する者たちが立派な家や高級車を得るようには祈りません。
御自分が御父の栄光の中にいらっしゃるのと同じ場所に、
彼らもまた最終的には居れるようにと、イエス様は祈ります。
結局、キリスト教の信仰において大切なのは、ただひとつのことだけです。
すなわち、私は、
自分の罪を抱え込んだまま神様と別れ別れになり、地獄へ落ちるか、
それとも、
キリストからいただいた恵みのゆえに、
神様とずっと一緒にいられる永遠の命と幸いな救いの中に入るか、
そのどちらかである、ということです。