イエス様の大祭司としての祈り
「ヨハネによる福音書」17章
これから扱う17章は
古代教会の時代(アレクサンドレイアのキュリッロス)より、
「イエス様の大祭司としての祈り」と呼ばれてきました。
これは的を得た呼称と言えるでしょう。
この呼称の背景には、
旧約聖書における祭司の主な仕事が、
犠牲を捧げることと、それに先立って祈ることだったことがあります。
世界全体の罪のゆえに御自分を犠牲として捧げる前に、
ここでイエス様は、
弟子たちや後に残されることになる全教会のために、
お祈りしてくださるのです。
お父様、あなたの子に栄光を示してください 17章1~5節
イエス様は公けに民を教えるという活動を終えられました。
これから待っているのは、人生で一番辛い時です。
そして一方では、それは人生の最高の時でもあります。
すなわち、全世界の罪のために十字架にかかって死ぬことと、
天の父なる神様の栄光の中に帰ることです。
世のすべての人間はイエス様の権威の下にあります。
それは、神様の御子であるイエス様というペルソナ
(三位一体なる神様の内の一つの位格)において、
暗い世にいる罪人が 聖なる神様の栄光への道を見出すためでした。
光は灯され、道は示されています。
光をもたらしたお方は、
この世に来られる前にもっていた栄光の中へと帰ろうとしています。
神様から生まれた神御自身であるにもかかわらず、
御子が御父に対してへりくだり、祈り、敬いつつ近づかれる、ということは、
聖三位一体の偉大な深遠と奥義に関わることがらなのです。