2010年10月22日金曜日

「コリントの信徒への第一の手紙」2章1~5節 

  
十字架の御言葉
   
「コリントの信徒への第一の手紙」2章
   
おびえた心でコリントへ 2章1~5節
    
1章でパウロはコリントの教会の争いを取り上げました。
今この箇所では、彼はまったくちがうことについて話しているように見えます。
1章の終わりで彼は、「神様の福音は人間的な教えではないこと、神様の知恵は人々の考えとはまったくちがう何かであること」、をはっきり示しました。
とはいえ、パウロはコリントの教会とその争いを常に念頭においていたことを、私たちは忘れてはなりません。
彼が教会の分裂について思いめぐらしつづけていたことを、私たちは4章で気付かされることになるでしょう。
  
使徒パウロのコリントに至るこれまでの旅路は、たいへん厳しいものでした。
フィリピで虐待、投獄され、テサロニケとべレアからは逃亡を余儀なくされ、アテネでは哲学者たちとの議論に時間を浪費しました。
パウロは図太い神経を持った「スター説教者」などではなかったのです。
アテネからコリントへと向かう途中、彼はごく普通の意味で恐怖にとらわれていました。
どんなことがコリントで彼を待ち受けているか、いったい誰が知っていたでしょうか。
そういうわけで、パウロがコリントの教会にあらわれたときの様子は、力強く周囲を圧倒するようなものではありませんでした。
こうした状況の中で、かえって彼は一番大切なことのみに集中することができたのです。
彼は、キリストの十字架と罪の赦しについて話しました。
パウロは「神様の奥義」を周りの人に伝えつづけました。
神様がこの奥義を信じるように召された者は、パウロのもとに来て福音を聴き、洗礼を受け、「神様のもの」となりました。
コリントでパウロは、言葉を巧みに操る者と競争したり、哲学者たちと議論する必要はありませんでした。
そのメッセージは単純でした。
それを信じた者は神様を見つけました。
信じなかった者は傍らを通り過ぎました。
まさにこのように、コリントの信徒たちの信仰は、人々の知恵あるいはパウロの才能や魅力に基づいて得られたものではなかったのです。
彼らの信仰の背後には、神様おひとりがおられました。
また、理性では理解できない、「キリストの贖いのための死」についての神様の教えがありました。
そして、まさにこの教えがまったく不思議なかたちで実を結んでいったのでした。