2010年3月11日木曜日

「エフェソの信徒への手紙」について 3章1~13節 その1

    
鎖につながれたしあわせな男
 

エフェソの信徒への手紙 第3章
 
はじめのふたつの章でパウロは読者を神様の恵みのみわざの秘密の中に導いていきました。
今回取り扱う第3章で、パウロは神様の大いなる御計画をおさらいしています。
とりわけ感動的なのは、無実の罪で鎖につながれた男が、自分の身の上をちっとも苦にしないで、熱心に喜んでこの手紙を書いている姿です。
 
 
3章1~13節 「特別待遇」を受けた男 (その1)

パウロは、はじめの節でつづり始めた文章を中断してもうひとつのことがらに移っていきます。
こうした書き方はパウロによく見られます。
パウロは手紙を力強く書きすすめているとき、書いていることがらに没頭しています。
ところが、新しいことがらが彼の心をとらえてしまいます。
彼の言葉は直接心から出てくるものです。
まさにそのゆえに、それらの言葉は私たちにとって愛するべきものになっています。
 
2~7節では、「福音は人間から出た教えではない」、ことが再び強調されています。
福音は、神様の御心によって世界を自分のものとするために動き回っているのです。
パウロも、熟慮を重ねた末に「福音宣教者」になったわけではありません。
神様は使徒や預言者たちに「秘密」をあきらかにしてくださいました。
そして、その秘密は神様の御意思の究めがたい深みの中に太初からあったものでした。
 
神様のもともとの御計画は、すべての人をキリストにおいてひとつの民として御許に招くことでした。
この計画は人間界における数え切れないほどの世代交代の中でずっと秘密にされたままでした。
神様は救いのみわざをある特定の民の只中で準備なさいました。
つまり、イスラエルだけが神様に属しており、他の民は外に追いやられていたのです。
神様の隠された御計画に基づいて、あらゆることはただひとつの時と、ひとつの大いなる出来事に結実していきます。
堕落した人間界全体は、キリストにあって、「神様のもの」としてあがないだされ、こうして、ユダヤ人も異邦人も一緒にキリストの教会を形成するようになる、という計画です。
 
このように、キリストのみわざはただひとつの民とか何人かの人々にだけに関わりのあるものではありません。
それは世界全体を包み込む広がりをもっています。
そして、その中には今聖書を学んでいる私たちも含まれています。
キリストのみわざが私たちにも関わりのあることだったという事実を、私たちが変更することはできません。
  
私たちができることは、キリストのあがないのみわざを敬うか、あるいは、それを自分には関係ないものとして否定し滅びの道を選ぶか、という二つのうちのどちらかしかありません。