2010年3月15日月曜日

「エフェソの信徒への手紙」について 3章1~13節 その2

    
3章1~13節 「特別待遇」を受けた男 (その2)
    
いくつかのわずかな言葉によって「エフェソの信徒への手紙」は私たちに聖書全体の「鍵」を与えてくれます。
旧約聖書全体は、「イエス・キリスト」という未来を目標として進んでいきます。
旧約聖書の中には、旧約の時代の状況のみに関係していて、現代の私たちを束縛したりはしないようなことがらも含まれています。
たとえば、モーセの律法による犠牲をささげる儀式の規定などがそうです。
しかし、神様の大いなる救いの御計画こそが旧約聖書の核心なのです。
そして、この核心が、旧約聖書を私たちにとって言葉では表現できないほど大切なものとしています。
私たちが今生きている現代の多くの人間にとって、旧約聖書は親しみを感じる書物ではありません。しかし、「エフェソの信徒への手紙」を読んでいくときに、私たちはこのことを根本的に考えなおしてみることができます。
聖書全体、その非常に難解な箇所や旧約聖書の極めて暴力的な箇所さえも、実のところ、キリストの大いなる「和解のみわざ」[1]について語っているのです。
神様、どうか私たちがこの秘密を見て理解できるように、私たちの心の目を開いてください。
  
[1] 十字架の死によってキリストが人間の罪を一身に引き受けてくださったおかげで、罪深い私たち人間と、義で聖なる神様との間に「和解」がもたらされた、ということ。(訳者註)