2010年1月11日月曜日

「エフェソの信徒への手紙」について 1章15~23節(前半)

1章15~23節 信仰者は神様を知ることを学ぶべきです。(前半)

このテキストは私たちをパウロと共に祈りの部屋へと連れて行きます。
パウロは教会のことを絶えず祈りに覚え、これらの教会がいただいた恵みについて感謝をささげています。それと共に、パウロは、教会が信仰の基礎をよりよくしることができるように、祈っています。
さあ、皆さん、気をつけて聴いてください。
今ここで問題になっているのは、「まったく神様をないがしろにして生きている人がキリストをしるようになる」、ということではないのです。
「信じるようになった人たちは神様の愛の偉大さをしることを学ばなければならない」、ということについてパウロは語っているのです。
つまり、「教会の中でさえ、神様の栄光と力について、ごくわずかの部分しかしられてはいなかった」、ということです。

19~23節によると、とてつもなく偉大な神様の救いのみわざが、私たちの信仰に影響を与えています。神様はキリストを死者の中からよみがえらせ、天にある御自分の右の座に高く挙げられました。キリストは今、御父と共に、あらゆる見えるものと見えないものとの主です。
それもたんにこの世の時だけではなく、来るべき時においてもそうなのです。

サタンはあるときイエス様にこれらすべてのうちのほんのわずかのものをあげるという約束によって、イエス様を試みようとしました(マタイによる福音書4章8~10節)。
今やサタンの権力は打ち砕かれました。
キリストがこの世を支配しておられることを、私たちは今すでに信仰によって見ることができます。
キリストは教会のかしらであり、私たちは皆、一緒にキリストの体を構成しています(このことには第5章のおわりで取り上げます)。
これらすべてを実現したのは、私たちに対する神様のよき御心です。
私たち自身の中にではなく、まさしくそこに、私たちの希望の礎があるのです。