2014年3月21日金曜日

「ローマの信徒への手紙」ガイドブック 2章 はじめに


「ローマの信徒への手紙」2章 はじめに


前章で、パウロは、
すべての異邦人(非ユダヤ人)が、
神様の御前で罪深い存在であることを示しました。
彼らの置かれている真の状況が明らかにされたのです。
彼らは造り主を捨てたので、
神様は彼らを罪の生活の中にお捨てになりました。
その結果、異邦人は、
自分自身の知恵に依拠する限り、
どうやっても神様を見出せなくなってしまいました。
彼らは、なすすべもなく、
すっかり罪にまみれ、
厳しい裁きを受ける身になりました。


このパウロの容赦のない評価は、
当初は異邦人だけに関わるものでした。
この段階では、
旧約聖書を通して神様の御旨を知らされている一群の人々は、
この評価の対象外になっています
この一群の人々とは、ほかでもないユダヤ人のことです。
この手紙の2章における最も重要な課題は、
ユダヤ人もまた罪深い存在であり、
自分たちの行いの報いとして、
神様の怒りを受けざるを得ない状況下にいることを示す点にありました。
ユダヤ人については、ようやく17節で言及されますが、
パウロには彼らのことが最初から念頭にあったのです。

2014年3月19日水曜日

「ローマの信徒への手紙」ガイドブック 終わりのメッセージ(1章)


終わりのメッセージ

「救いの入り口で」

フィンランドでは、
一年を通じてそれぞれの日に何らかの名前が振り当てられています
(「名前の日」と呼ばれます)。
クリスマス•イブの日がアダムとエバの二人の名前の日になっているのは、
奇妙な窮屈さを感じさせます。
あたかもこれらの名前に割り当てる日が足りなくなったので、
人々が誕生日も名前の日もお祝いする暇がないほど
忙しいクリスマスの前日に、
しかたなく男と女の名前を同じ日に押し込んだような印象さえ受けます。

もちろん、彼らの名前がこの日に選ばれたことには、
さらに深い理由が背景にあります。
なにしろ、人類の祖先にあたる父母の名前が一緒に記されているのですから。
カレンダーも、名前の日のでたらめな羅列ではありません。
そこに登場する一連の名前の大部分は、
私たちが信仰する神聖なキリスト教信仰の内容を伝えるものなのです。

このことは、アダムとエバにも当てはまります。
名前の日に彼らは、
あたかも「救いの入り口」の場所に立っているかのようです。
裸のままで彼らは、
暖かい部屋の中に入れてくれる扉が開くのを待っています。

人類がこのような無力な存在であることは、
私たちにとってはなんとも認めがたい事実です。
たしかに、人間はまったく無力というわけではありません。
すでに最初の人間たちも、色々なことを上手に行うことができました。
しかし一方で、彼らは、神様に対して背を向けて、
不従順な態度を取ることもしてのけたのです。

人類の祖先にあたるこの父母と共に、
私たちは人類の誕生を待ち望み、祈ります。
キリストが来てくださったので、
「新しいアダム」の誕生が可能になりました。
今や私たちは、神様の御言葉によって、
「新しい人」として造られるのです。
この新しい人は、
マリアの子、私たちの救い主イエス様を賛美し、よい行いに励みます。
私たちが、神様に背を向けた一族の末裔なのは確かです。
しかし、私たちは、
救いの果実、主の聖餐(礼拝での聖餐式)を受ける勇気もいただきます。
聖餐を通して、新約の命の木なる十字架を前にして、
聖壇の中央から、私たちの方へと、
罪の赦しの恵みがやってきます。



レイノ ハッシネン 「輝く明日」

2014年3月17日月曜日

「ローマの信徒への手紙」ガイドブック 第1回目の質問(その2)

 
第1回目の集まりのために 「ローマの信徒への手紙」1章(その2)



2)パウロのメッセージは明瞭です。
人間が神様を捨てたので、神様もまた人間を捨ててしまわれた、
ということです。

その結果として、人間は、
神様に背を向けてこの世に生まれることになり、
自分自身の力では神様を見つけることができなくなったのです。

罪深い状態の中に閉じ込められた人間の思考世界が
いかに滅茶滅茶かを示す例として、パウロは同性愛を挙げます。
同性愛は、
神様にとって完全な嫌悪の対象ですが、
パウロの時代の人々の考えによれば、
容認されるべき高貴な生き方でした。
すなわち、
神様の啓示と人間は、
この問題に関して全く異なる考え方をしていることになります。

私たちの生きている現代世界でも、
神様と人間の考え方の間に明らかな相違が生じる問題がありますか。
私たちが、
神様の御言葉である聖書のすべての教えを受け入れて、
その中に留まるのは、容易なことでしょうか。

2014年3月14日金曜日

「ローマの信徒への手紙」ガイドブック 第1回目の質問(その1)

  
第1回目の集まりのために 「ローマの信徒への手紙」1章(その1)
  
 
1章でパウロは、最初の挨拶の後すぐに、
この手紙の主要なテーマである信仰の義について触れます。
この章でのパウロの主な目的は、
異邦人(非ユダヤ人)が神様の御前で罪深い存在であり、 
自分自身の力では神様を見つけられないほど
絶望的な状態にあることを示すことでした。

1)大抵の場合パウロは
手紙の受取手である教会の存在について、
神様に感謝を捧げることから、
手紙を書き始めています。

このことは、
パウロが日々神様の御前で、
それらの教会のためにとりなしの祈りを捧げていたことを示唆しています。

すでに旧約の時代にも、
ユダヤ人の一日の生活は、
神様への感謝(感謝の詩篇)で始められました。
キリスト信仰者はこの伝統を受け継いだのです。
朝のお祈りの時をラテン語でLaudes(賛美)と呼ぶのはその表れです。

私たちは、神様に感謝することを
どのように学ぶことができるでしょうか。
皆で、「詩篇」100篇と103篇を読んでみてください。