2015年8月19日水曜日

「ローマの信徒への手紙」ガイドブック 8章31〜39節 いったい誰が、神様に属する人々を責めることができましょうか?


いったい誰が、神様に属する人々を責めることができましょうか? 
83139
 
パウロは神様を賛美する素晴らしい歌でこの長い章を閉じます。
神様の子どもとして生きることほど
安全な生き方はこの世には他に存在しません。
神様はその御子を惜しまずに、十字架の死に渡されました。
それほどまでに、私たちを愛してくださっているのです。

この箇所でパウロは、アブラハムについて語っています。
神様はアブラハムを厳しい試練へと導かれました。
それを通して、彼が神様を他の何よりも愛していることを確認なさいました。

神様は罪深い存在である私たち人間を
キリストの血によって御自身と和解させてくださいました
私たちを神様がいかに熱く愛しておられるか、
ゴルゴタの出来事(イエス様の十字架刑)を通して見ることができます。
このことを信じる時、
いったい私たちを脅かすものが何かありましょうか。
いったい誰が神様に反抗できましょうか。
キリストが私たちのために祈っていてくださるのに、
いったい誰が私たちを地獄に突き落とすことができましょうか。

迫害が起ころうと、苦しい目に遭おうと、困難や危険に遭遇しようと、
それらの出来事は、
主に属する人々が輝かしい勝利を収める様を
いっそう際立たせていく結果になるからです。
いかなるものであれ、
キリストの十字架に示された神様の愛から、
私たちを引き離すことはできません。


ルターはある時、
ローマ•カトリック教会から異端として除名され、
神聖ローマ帝国からも身辺の保護を一切受けられない
窮地に立たされたことがあります。
教会の中にも帝国の中にもいられないそのような状況の下で、
いったいどこで生きて行くつもりか、
ときかれたルターは、
「神様の天の下で生きて行く」、と答えたそうです。
神様の守りの中から御旨に反してルターを奪い去ることは、
誰にも決してできないからです。

2015年8月14日金曜日

「ローマの信徒への手紙」ガイドブック 8章18〜30節 困難な状況の下での希望(その3)


困難な状況の下での希望 81830節(その3)


(ルター派の)多くのキリスト信仰者は、
聖霊様についての話を避ける傾向があります。
そのような時には、
「御霊は、神様としてふさわしいやり方で、
聖徒たちのためにとりなしの祈りをなさっています 」(827節)、
という御言葉を思い出しましょう。
真の平安をくださるこの素晴らしいお方が、聖霊様なのです。

私たちが神様とその御霊の守りの中にある時、
あらゆる出来事が共に作用して結局は私たちの最善となっていくようにと、
神様は取り計らってくださいます。

何事も、私たちを神様の御手から引き離すことはできません。
私たちが神様を選んだのではなく、
神様が私たちを選んでくださったからです。

2015年8月5日水曜日

「ローマの信徒への手紙」ガイドブック 8章18〜30節 困難な状況の下での希望(その2)


困難な状況の下での希望 81830節(その2)
  

パウロによれば、
このような困難を抱えているのは何も私たちだけではありません。
被造物世界全体が、
神様の子どもたちが栄光に包まれて現れ
新しい天と地が創造される日を待ち望んでいるのです。
それと同様に私たちも、
ため息とともにこの希望が実現するのを待ち続けています。

今この文章を読んでいる皆さんは、
ここで私が天国への望郷の念について語るのを
わかってくださるのではないでしょうか。
この思いは、時として私たちの心を強く揺さぶります。
「自分はこの世に属していない」ということを実感する場合があります。
主を信じつつこの世を去った
愛しい親戚、友人、知人たちとの天国での再会を待ち望む時に、
私たちの心は天の御国への郷愁にかられます。

私たちには忍耐が必要です。
まだ私たちは(見えないものを信じる)信仰の中に生きており、
天の御国を実際に見ることはできないからです。
イエス様が教会と御自分の民にくださった最高の贈り物が、
今の私たちを守っています。
この贈り物とは、聖霊様のことです。

慰め主なる聖霊様は、
私たちが自分を孤児だと勘違いして孤独で苦しまないように
守護なさっています。

私たちがどうにも祈ることができない時、
聖霊様は、声にならないため息と共に、
私たちのために祈ってくださいます。

2015年6月9日火曜日

「ローマの信徒への手紙」ガイドブック 8章18〜30節 困難な状況の下での希望(その1)


困難な状況の下での希望 81830節(その1)


キリスト信仰者のこの世での生活が、
ただその場でじっと座って信じて
キリストの愛をありがたがるばかりではないことを、
パウロはちゃんと知っています。
この世では、
神様に感謝する気持ちを失くさせるような出来事もたくさん起こるからです。
世間から受ける厳しさや冷たさは、
信仰を喜んで告白する心をキリスト信仰者から削いでしまいます。
意地悪な態度をとったり口汚くののしったりする人々に対して、
キリスト信仰者であるはずの自分がどのように苦々しく口を歪めるか、
私たちは自覚しているはずです。

しかし、そのような時にも神様に感謝しなさい。
私たち自身の中にもたくさん欠点や弱さがあります。
罪は上から重くのしかかり、私たちに疾しい良心を引き起こします。
しかも私たちは、
本来ならこう祈るべきであるような祈りの態度によっては
祈ることができないのです。