いったい誰が、神様に属する人々を責めることができましょうか?
8章31〜39節
パウロは神様を賛美する素晴らしい歌でこの長い章を閉じます。
神様の子どもとして生きることほど
安全な生き方はこの世には他に存在しません。
神様はその御子を惜しまずに、十字架の死に渡されました。
それほどまでに、私たちを愛してくださっているのです。
この箇所でパウロは、アブラハムについて語っています。
神様はアブラハムを厳しい試練へと導かれました。
それを通して、彼が神様を他の何よりも愛していることを確認なさいました。
神様は罪深い存在である私たち人間を
キリストの血によって御自身と和解させてくださいました 。
私たちを神様がいかに熱く愛しておられるか、
ゴルゴタの出来事(イエス様の十字架刑)を通して見ることができます。
このことを信じる時、
いったい私たちを脅かすものが何かありましょうか。
いったい誰が神様に反抗できましょうか。
キリストが私たちのために祈っていてくださるのに、
いったい誰が私たちを地獄に突き落とすことができましょうか。
迫害が起ころうと、苦しい目に遭おうと、困難や危険に遭遇しようと、
それらの出来事は、
主に属する人々が輝かしい勝利を収める様を
いっそう際立たせていく結果になるからです。
いかなるものであれ、
キリストの十字架に示された神様の愛から、
私たちを引き離すことはできません。
ルターはある時、
ローマ•カトリック教会から異端として除名され、
神聖ローマ帝国からも身辺の保護を一切受けられない
窮地に立たされたことがあります。
教会の中にも帝国の中にもいられないそのような状況の下で、
いったいどこで生きて行くつもりか、
ときかれたルターは、
「神様の天の下で生きて行く」、と答えたそうです。
神様の守りの中から御旨に反してルターを奪い去ることは、
誰にも決してできないからです。