2014年4月11日金曜日

「ローマの信徒への手紙」ガイドブック 第2回目の質問


2回目の集まりのために 「ローマの信徒への手紙」2


「ローマの信徒への手紙」1章で、パウロは、
異邦人(非ユダヤ人)が
神様から離れて生活している罪深い存在であることを示しました。
この2章では、 
ユダヤ人もまた、
神様の御前で、罪の負債を抱える存在であることを、彼は示します。
ユダヤ人たちは神様の御旨を知っていながら、
それに従わなかったのです。
このユダヤ人の罪深さのせいで、
異邦人たちの間で、
神様の尊い御名が蔑まれる事態を招いてしまいました。

1)この章でパウロは、ユダヤ人について厳しい言葉を述べています。
その一方、他の手紙では、
真の教会こそが神様の新しいイスラエルである、と語っています
(「ガラテアの信徒への手紙」616節)。
このことは、今扱っている章の内容を、
私たちキリスト信仰者が深く考えるようにと促します。
はたして、新しいイスラエルは、
それまでのイスラエルよりもよい存在なのでしょうか。

a)一般の人々のほうがキリスト信仰者よりも
はるかに公正で親切である、という話を
あなたは聞いたことがありますか。
私たちキリスト信仰者よりも一般の人々のほうが、
他人の悪口をあまり言わないかもしれないし、
手際よく人助けするかもしれないし、
他人に対して寛容かもしれません。
いったいどこから、このような評判が出てくるのでしょうか。


b)神様の御旨を知っているだけでは不十分である、
とパウロは言います。
御旨には実際に従わなければならないからです。
もしそうでないなら、
神様の御国に属するはずの人々による不適切な振る舞いのせいで、
神様の聖なる御名が
この世の人々によって蔑まれる結果を招くことになるからです。
私たちにとって、これは自分にも当てはまっていますか。

2014年4月9日水曜日

「ローマの信徒への手紙」ガイドブック 2章 私たちが学んだことは何でしょうか


私たちが学んだことは何でしょうか
  
 
パウロは、
ユダヤ人が異邦人と同様に罪深い人々のグループであることを
示すことに成功しました。

実のところ、
ユダヤ人の状態は異邦人よりもさらに悪いともいえます。
なぜなら、
彼らの罪深さは、ユダヤ人以外の人々をも、
神様の聖なる御名を侮るように仕向けてしまっているからです。


一方では、私たちは、
キリスト信仰者として問題を抱えていることを、
率直に認めざるを得ません。
私たちキリスト信仰者が人々に伝えるべきメッセージとは、
私たちは偉大な人々の生き方について知っていますよ、
というのとはちがいます。

幸いなことに、次回では、
私たちが伝えるべき本来のメッセージの内容を
深く学ぶ機会が与えられます。

2014年4月7日月曜日

「ローマの信徒への手紙」ガイドブック 2章17〜29節 蔑まれている神様の御名(その2)


蔑まれている神様の御名  21729節(その2)


パウロはまた、割礼についても述べています。
肉体に刻まれた目印(割礼)によっては、
誰も神の民の一員にはなれません。
神の民の一員になる場合には、
目に見えるような変化が、心の中で起きなければならないからです。
それに比べて、割礼を受けているかどうかは、二次的な問題です。
大切なのは、
神様がその人に満足しておられるかどうか、
ということなのです。


これは、
私たちにとって、身に覚えがありすぎて、
とても一笑に付すことなどできないことでしょうか。

私たちキリスト教徒は、
神様についてどのようなイメージを周りにいる人々に与えてきましたか。
近所の人や同僚は、私たちと一緒にいる時に、
活きておられる神様が私たちを通して働いておられることを
感じ取っているでしょうか。
それとも、
キリスト教徒と呼ばれる人も、他の人と特に何にも変わらないじゃないか、
と嘲笑するきっかけを、彼らに与えてしまっているのでしょうか。 

活ける神様は、人間を愛に満ちた善き存在に変える力の源です。
しかし、
私たちの生き方を通してそのような神様への関心を抱いた人は、
あまりいなかったのではないでしょうか。

2014年4月3日木曜日

「ローマの信徒への手紙」ガイドブック 2章17〜29節 蔑まれている神様の御名(その1)

 
蔑まれている神様の御名  21729節(その1)
 
  

パウロは、ユダヤ人について手厳しい話を続けます。
ユダヤ人は、
神様の御旨を知りつつも、
それに従おうとはしませんでした。
彼らは、
霊的に盲目な人々の導き手や、
理解力の足りない人々の教師を気取って、
人前に登場しました。
「私が実際に行っていることは見習わず、
私が教えている通りに行いなさい」、
という助言を付け加えた上で教えていたのであれば、
彼らは教師として正しく振る舞ったと言えたのでしょうが。

彼らは、神様について話すことにとても熱心でした。
彼らは、自分が神に従う者であることを隠そうとはしませんでした。
しかし、このことは、残念な結果を生みました。
ユダヤ人を傍らから見ていた人は皆、思わず笑い出してしまいました。
もしも神の従者を自称する者(ユダヤ人)が
これほど見せかけだけの悪人だとしたら、
彼らが仕えているという神は一体どのような存在なのか、
と彼らはせせら笑ったのです。
異邦人は、ユダヤ人の偽善的な生き方を面白がるばかりでした。
こうして、神様の聖なる御名は汚されてしまいました。
ユダヤ人は、神様のことを話題に持ち出すべきではなかったのです。
なぜなら、
彼らの生き方は、活ける神様を嘲笑の的としてしまったからです。