2023年3月23日木曜日

「ハバクク書」ガイドブック 「ハバクク書」1章5〜11節  神様からの驚くべき答え

 神様からの驚くべき答え 「ハバクク書」1章5〜11節

 

「諸国民のうちを望み見て、

驚け、そして怪しめ。

わたしはあなたがたの日に一つの事をする。

人がこの事を知らせても、

あなたがたはとうてい信じまい。

見よ、わたしはカルデヤびとを興す。

これはたけく、激しい国民であって、

地を縦横に行きめぐり、

自分たちのものでないすみかを奪う。

これはきびしく、恐ろしく、

そのさばきと威厳とは彼ら自身から出る。

その馬はひょうよりも速く、

夜のおおかみよりも荒い。

その騎兵は威勢よく進む。

すなわち、その騎兵は遠い所から来る。

彼らは物を食おうと急ぐわしのように飛ぶ。

彼らはみな暴虐のために来る。

彼らを恐れる恐れが彼らの前を行く。

彼らはとりこを砂のように集める。

彼らは王たちを侮り、つかさたちをあざける。

彼らはすべての城をあざ笑い、

土を積み上げてこれを奪う。

こうして、彼らは風のようになぎ倒して行き過ぎる。

彼らは罪深い者で、おのれの力を神となす。」

(「ハバクク書」1章5〜11節、口語訳)

 

暴力的な悪がいたるところで横行していることを嘆くハバククに対する

神様からの返答は実に意外なものでした。

暴力的な悪行はこれからも続いていくどころか、

いっそうひどくなっていくというのです。

 

「カルデヤびと」の残虐さと悪辣さは

当時の人々の間では「格言」になるほど知れ渡っていました。

「カルデヤ」は一般的には「バビロニア」という名で知られている国です。

カルデヤ王国すなわちバビロニア王国(正確には新バビロニア王国)は

アッシリア帝国滅亡後の中近東世界に君臨した新たな覇者です。

 

使徒パウロはピシデヤのアンテオケで安息日に会堂に入って宣教したときに

「ハバクク書」1章5節を引用しています。

 

「『見よ、侮る者たちよ。驚け、そして滅び去れ。

わたしは、あなたがたの時代に一つの事をする。

それは、人がどんなに説明して聞かせても、

あなたがたのとうてい信じないような事なのである』」。

(「使徒言行録」13章41節、口語訳)

 

パウロは「ハバクク書」のこの節をイエス様の復活に結びつけています

(「使徒言行録」13章30、37節)。

まさしくイエス・キリストの復活は神様による驚くべき偉大な御業でした。

興味深いことに「ハバクク書」と「使徒言行録」の箇所の間にはどちらにも、

神様の御心を蔑ろにする者は神様による裁きの罰を自らの上に招くことになる

という意味が込められているという共通点があります。

 

ここで「ハバクク書」に戻ると、

強大な権力を握った者にしばしば起こることがやはりカルデヤにも起こりました。

カルデヤはおごり高ぶったのです(「ハバクク書」1章7節)。

カルデヤはその強大な権力を己の「偶像」(偽物の神)にしてしまいました

「ハバクク書」1章11節)。

権力はその行使者をいともたやすく堕落させてしまいます。

そもそも権力とは

ある種の高尚な目的を実現するための手段にすぎないもののはずです。

にもかかわらず、

いつまでも権力の座にしがみつくことが

権力者の最大の目的や関心事になってしまう場合が

あまりにもしばしばみられます。

 

上掲の箇所(「ハバクク書」1章8節)では

当時の中近東世界における「電撃戦」が描写されています。

カルデヤ軍は連戦連勝の快進撃を続け、

それに対抗できる国はひとつもありませんでした。

カルデヤは夥しい数の捕虜を遠方の捕囚地に強制移住させました

(「ハバクク書」1章9節)。

ユダ王国および首都エルサレムもこの「バビロン捕囚」の対象となりました。

紀元前586年のネブカドネザル二世の軍によるエルサレム制圧後、

イスラエルの民はメソポタミアへと強制移住させられたのです

(「歴代誌下」36章11〜21節)。

 

なお、この攻撃では都市の外壁を破壊する際に土塁が築かれました

(「ハバクク書」1章10節、「ナホム書」2章6節)。

これと同様の戦術は

後年のユダヤ戦争でローマ軍が巨大な土塁を築いて防壁を突破し

ユダヤ人たちのマサダ要塞を陥落させた時にも用いられています(西暦72年)。

 

カルデヤ人は活ける真の神様を侮蔑する悪辣な民でした

「ハバクク書」1章11節)。

彼らは己の戦闘力を偶像のように頼りにしていました。

その様子は「ハバクク書」1章15〜17節に記されています。

また「ゼパニヤ書」2章15節には

カルデヤと同じように自らの権勢に酔いしれた

アッシリア帝国の惨めな末路が述べられています。