2021年6月30日水曜日

「ヨナ書」ガイドブック 唐胡麻の木の教え 4章4〜11節(その2)

唐胡麻の木の教え 4章4〜11節(その2)

自分のことしか念頭になくなったヨナは自らの死を望みました。

これはもうすでに二度目です(8節)。

しかし神様はヨナの希望を受け入れてはくださりませんでした。

それを見てヨナは神様に対してさらに失望したことでしょう。

 

ヨナの怒りに対して神様はふたたびお答えになりました。

今回はヨナも神様に言葉を返しています(9節)。

 

「しかし神はヨナに言われた、

「とうごまのためにあなたの怒るのはよくない」。

ヨナは言った、「わたしは怒りのあまり狂い死にそうです」。」

(「ヨナ書」4章9節、口語訳)

 

最良の教育のやり方とは、

生徒が学ぶべきことを自分で学べるようにすることであり、

自分の頭を使って気がついたり発見したりできるようにすることです。

ヨナが神様の教えてくださったことにどのように反応したのか

「ヨナ書」には何も記されていません。

しかし、何を神様が伝えようとされたのか、ヨナにはわかったと思います。

唐胡麻の木を通して神様がヨナを教育なさるやり方は、

バト・シェバ事件をめぐる預言者ナタンとダヴィデ王との対話を思い起こさせます。

以下に引用するこの対話のおわりでダヴィデ(口語訳ではダビデ)は

自分で自らの罪深さを認めてそれを断罪することになります。

 

「主はナタンをダビデにつかわされたので、彼はダビデの所にきて言った、

「ある町にふたりの人があって、ひとりは富み、ひとりは貧しかった。

富んでいる人は非常に多くの羊と牛を持っていたが、

貧しい人は自分が買った一頭の小さい雌の小羊のほかは何も持っていなかった。

彼がそれを育てたので、その小羊は彼および彼の子供たちと共に成長し、

彼の食物を食べ、彼のわんから飲み、彼のふところで寝て、

彼にとっては娘のようであった。

時に、ひとりの旅びとが、その富んでいる人のもとにきたが、

自分の羊または牛のうちから一頭を取って、

自分の所にきた旅びとのために調理することを惜しみ、

その貧しい人の小羊を取って、これを自分の所にきた人のために調理した」。

ダビデはその人の事をひじょうに怒ってナタンに言った、

「主は生きておられる。この事をしたその人は死ぬべきである。

かつその人はこの事をしたため、またあわれまなかったため、

その小羊を四倍にして償わなければならない」。

ナタンはダビデに言った、

「あなたがその人です。イスラエルの神、主はこう仰せられる、

『わたしはあなたに油を注いでイスラエルの王とし、

あなたをサウルの手から救いだし、あなたに主人の家を与え、

主人の妻たちをあなたのふところに与え、

またイスラエルとユダの家をあなたに与えた。

もし少なかったならば、わたしはもっと多くのものをあなたに増し加えたであろう。

どうしてあなたは主の言葉を軽んじ、その目の前に悪事をおこなったのですか。

あなたはつるぎをもってヘテびとウリヤを殺し、その妻をとって自分の妻とした。

すなわちアンモンの人々のつるぎをもって彼を殺した。

あなたがわたしを軽んじてヘテびとウリヤの妻をとり、自分の妻としたので、

つるぎはいつまでもあなたの家を離れないであろう』。

主はこう仰せられる、

『見よ、わたしはあなたの家からあなたの上に災を起すであろう。

わたしはあなたの目の前であなたの妻たちを取って、隣びとに与えるであろう。

その人はこの太陽の前で妻たちと一緒に寝るであろう。

あなたはひそかにそれをしたが、

わたしは全イスラエルの前と、太陽の前にこの事をするのである』」。

ダビデはナタンに言った、

「わたしは主に罪をおかしました」。

ナタンはダビデに言った、

「主もまたあなたの罪を除かれました。

あなたは死ぬことはないでしょう。

しかしあなたはこの行いによって大いに主を侮ったので、

あなたに生れる子供はかならず死ぬでしょう」。」

(「サムエル記下」12章1〜14節、口語訳)

 

神様は全能です。

このことをヨナの乗った船の船長は全能なる神様への信仰を告白し

(「ヨナ書」1章6節)、船乗りたちも信仰告白しました(「ヨナ書」1章14節)。

ニネヴェの王も同じ信仰告白をしました(「ヨナ書」3章9節)。

そしてヨナ自身も信仰告白するほかありませんでした(「ヨナ書」2章10節)。

ここで主の使徒パウロが神様の全能性について記した以下の箇所も参考になります。

 

「では、わたしたちはなんと言おうか。

神の側に不正があるのか。

断じてそうではない。

神はモーセに言われた、

「わたしは自分のあわれもうとする者をあわれみ、

いつくしもうとする者を、いつくしむ」。」

(「ローマの信徒への手紙」9章14〜15節、口語訳)。

 

神様が全能なることの具体的なあらわれとして、

神様にはニネヴェを「救うこと」も唐胡麻の木を「滅ぼすこと」も実現なさる

権能をお持ちであることを、ヨナは信仰告白するほかありませんでした。

 

「列王記下」14章25節が語るところによると、

ヨナはユダの領土が将来拡大すると予言しました。

そしてこの予言はユダの王アマジヤの治世に実現することになります。

ところがこの箇所でのヨナは

ユダの敵であるアッシリアに益をもたらすような伝道活動をする立場に

自分が置かれていることに気がついたのです。

ヨナは自分の以前の予言に反するような行動を強いられていたことになります。

きっとこのことはヨナの心を苦しめたことでしょう。

「神様はいったい何をなさろうとしておられるのか」

とヨナは訝しげに思ったことでしょう。

 

おそらくヨナは唐胡麻のケースから、

どれほど強大な大国であったとしても

国は瞬く間に興隆する場合もあれば衰退する場合もある

ということを学んだのではないでしょうか。

まだしばらくの間は繁栄を続けるユダ王国が最終的には滅亡することを

預言者ヨナは知っていました。

そして、いずれはアッシリアもまたユダと同じ経過をたどることになるのです。

ユダとアッシリアを滅ぼしたのは同じくユダ王国の敵であるバビロニアでした。