2019年6月5日水曜日

「ペテロの第一の手紙」ガイドブック 5章6〜11節 謙虚に、油断せずに生活しなさい(その2)

5章6〜11節 謙虚に、油断せずに生活しなさい(その2)

ある時、私は妻と一緒に車に乗っていました。
視界のとてもよくない夜でした。
歩いて道を渡る暗い人影が見えたため、
私は急ブレーキをかけました。
泥酔していたその人は
近づく車のライトが知らせる身の危険についても無自覚でした。
この出来事には、ペテロが手紙で描いているイメージと
何かしら共通するものがあると思います。

羊には獣の足音と吼え声を聞こえます。
しかし、獣がどこにいるのかは知りません。
その危険にも無頓着です。
悪魔は人がキリストを信じることも
罪の赦しを信じることも許そうとはしません。

マルティン・ルターは彼の起草した洗礼式用の式文で、
どのようなことが洗礼では起きているのか、
おごそかに私たちに思い起こさせようとしています。

洗礼において子ども(赤ちゃん)はキリストのゆえに
「神様の子ども」として受け入れられて、
キリスト教会の一員とされます。

その一方で、
悪魔が洗礼を受けたその子に襲いかかろうとするようになります。
受洗者は洗礼の前には悪魔に支配されていました。
その元の状態に連れ戻すために、
悪魔は受洗者に対して攻撃の手を緩めようとはしません。

これと同様の危険が、
キリストを信じる心をもつ人皆を今もなお脅かし続けているのです。
あなたが信仰を捨ててしまうか、
あるいは栄光の御国にたどり着くまでは、
悪魔はあなたを放置しません。

ですから、慎重な態度を保ち、
キリストの勝利の中に「避けどころ」を求める生活を送ることが大切になります。
そうしなければ、
キリスト信仰者としての生活は頓挫してしまうことになるからです。