2019年2月6日水曜日

「ペテロの第一の手紙」ガイドブック 3章18〜22節 キリストの苦難と高挙(その1)

3章18〜22節 キリストの苦難と高挙(その1)

3章18〜22節で、私たちの考えはふたたびキリストに引き戻されます。
これらの節を読むときに思い浮かぶのは「使徒信条」です。

キリストは死に至る苦しみを受け、
陰府で宣べ伝え、
天に昇り、
父なる神様の右の座に着かれました。

誕生間もない初期の教会ですでに用いられていた信仰告白や賛美歌が
この箇所には引用されていると思われます。
現代の私たちにまで引き継がれてきた「使徒信条」は、
まさしくこういった具体的な聖書の箇所を基にして
形を整えられてきたものなのです。

18節には、理解が容易ではない一組の用語
「肉において」と「霊において」が登場します。
これらの用語の意味するところは何でしょうか。
それについては様々な説明を考えることができるので、
決定的な解答を見つけるのは困難です。
ここではひとつの説明を解答例としてあげておきます。
それによれば、
この箇所における「肉」とは、
私たち人間がこの世で生きている間にその只中に置かれている
「現実の状態」を指しています。
そして、「肉」と対照的な言葉である「霊」とは、
私たちが死んだ後に始まる「真実の状態」を指しているのです。
このように考えるとき、
18節が言わんとすることは次のように表現できるでしょう。
イエス様はこの世で人間として殺されました。
イエス様は他の人間たちと同じようにして死なれたのです。
ところが、死んだ後に奇跡が起きました。
死者たちは皆、死後は死の支配下に置かれます。
しかし、イエス様の場合はちがっていました。
神様はイエス様をよみがえらせてくださったのです。
これは、イエス様が死に打ち勝ったこと、
また、神様の御心によって今もこれからも永遠に生きておられること
意味しています。
内容的に難しいこの18節を理解するためには、
「ペテロの第一の手紙」4章6節も合わせて読み込む必要があります。

「死人にさえ福音が宣べ伝えられたのは、
彼らは肉においては人間としてさばきを受けるが、
霊においては神に従って生きるようになるためである。」
(「ペテロの第一の手紙」4章6節、口語訳)