2018年9月12日水曜日

「ペテロの第一の手紙」ガイドブック 1章13〜25節 結論へ!(その2)

1章13〜25節 結論へ!(その2)

この章の後半の鍵となるのは
「わたしが聖なる者であるから、あなたがたも聖なる者になるべきである」
(16節、口語訳)という御言葉です
(「なるべきである」と訳された箇所は
ギリシア語では動詞の未来形が使用されています。訳者註)。
これがこの手紙の核心ともいえるメッセージです。
それには二つの側面があり、その両方とも検討していく必要があります。

「聖さ」は神様にのみ属する本質です。
人間は自分の力では決して「聖なる者」になることができません。
すなわち、ありのままの人間は
「神様の大広間」に足を踏み入れることなど決してできない存在なのです。
この手紙もそのようなことが人間に可能であるとは主張していないし、
「自分自身の聖さ」を無理やり作り出すように勧めているわけでもありません。
私たちが「聖なる者」である根拠は、
神様が私たちを「きずも、しみもない小羊のようなキリストの尊い血」
(1章19節、口語訳)によって清めてくださったことにあります。
私たちが聖なる者であることは、到達点ではなくて出発点なのです。

この出発点から次のような結論が導かれます。
「神様が私たちを聖なる者としてくださったのだから、
私たちはいただいた賜物に調和するような生き方をするべきである」
という結論です。
これは
「罪との戦い、すなわち聖化こそが
キリスト信仰者の絶え間ない日々の生活態度である」
という意味です。
次の聖句はこのことを素晴らしいイメージによって表現しています。

「あなたがたが新たに生れたのは、
朽ちる種からではなく、朽ちない種から、
すなわち、神の変ることのない生ける御言によったのである」
(1章23節、口語訳)。