2017年9月13日水曜日

私たちは聖餐について何を信じていますか?(その10)

私たちは聖餐について何を信じていますか?(その10)

フィンランド語版著者 
ヤリ・ランキネン(フィンランド・ルーテル福音協会牧師)
日本語版編集・翻訳者 
高木賢(フィンランド・ルーテル福音協会)

「キリストのからだであることをわきまえないで聖餐を食べまた飲む者は、
自分に対して裁きを食べまた飲むことになります」
(「コリントの信徒への第一の手紙」11章29節)。

聖餐の食卓からキリストや恵みを求めない者もまた、
キリストのからだと血をいただきます。
ただし、その場合にはその人は裁きを受けることになってしまいますが。
ですから、聖書が聖餐式について教えていることを軽視する者は、
聖餐式に参加するべきではありません。
それほどまでに聖餐式は聖なるものだからです。

子どもが聖餐式をほかの食べ物から区別することを知っており、
「聖餐式はイエス様とお会いすることだ」と知っているなら、
その子どもには聖餐を配ることができます。
こうした問題について、子どもからはあまり要求しすぎてはいけません。

初期のキリスト教会では、
ひどい罪を行っている者に対しては
聖餐をあずからせないようにすることがありました
(「コリントの信徒への第一の手紙」5章5節)。

罪を悔い改めようとはしない人間はどのような場所へ落ちていくか、
ということを教えるために、教会はこのように行ってきたのです。
罪を悔い改めようとはしない者は、
神様の恵みを受け入れていないのですから、
その当然の報いとして神様のおられない場所へと落ちていくほかありません。

教会は今でも同じように教え、また実行するべきです。

そうすることは、
滅びへの道へとさまよいこんでいる多くの人々にとって必要なことであり、
きわめて真剣な警告を発することでもあり、
また、その人が救われることを親身になって心配していることを
教会自身が示すことにもなるでしょう。

そうすることはまた、
私たちが実際に「永遠の滅び」という状態が存在することを
本当に信じていることを示すことにもなります。


女性牧師の配る聖餐式は正しい聖餐式でしょうか?
私はこのことをあるフィンランド福音ルーテル教会の教会長(ビショップ)
に尋ねたところ、彼はこう答えました、
「私はわかりません。
神様の明瞭な御言葉に反して牧師になった人間が
施行したり配ったりする聖餐式を、神様が祝福してくださるかどうか、
私は知りません。
私自身は確実な道を選びます。
ですから、私は確実に聖餐をいただける聖餐式に連なるし、
他の人たちにもそうするように忠告しています」。