2016年12月2日金曜日

「ローマの信徒への手紙」ガイドブック 「ローマの信徒への手紙」にこの16章は含まれるのでしょうか?

「ローマの信徒への手紙」にこの16章は含まれるのでしょうか?

この16章がはじめから「ローマの信徒への手紙」に属していたかどうか、
研究者たちは昔から論争してきました。
それまでローマの教会には行ったことがない、と言っているパウロが
これほどたくさんそこの教会の信徒たちを知っていることを、
多くの学者は不思議がりました。
26人もの人々に彼は挨拶を送っているからです。
名前から判断すると、
彼らのうちの何人かはエフェソの教会の信徒であった可能性があります。
中には冗談半分で、
エフェソ教会のパウロの友人たちがそろってローマに移動したのではないか、
などと言う研究者の人たちもいます。
もともと16章は別の独立した手紙だった、と彼らは主張しています。

この16章がパウロの他の手紙の一部だったのか、
それとも、「ローマの信徒への手紙」の末尾に位置していたのか、
私たちにはどちらでもよいことです。
それによって神様の御言葉の価値が減るわけではないからです。
この部分だけが独立した手紙ではなかったのはたしかです。
簡単に挨拶だけをポストカードに書いて送る今の時代のやり方からすれば、
パウロが色々な人々への挨拶だけを記している「手紙」があっても
おかしくはありませんが、
パウロの時代にはこれはほとんどありえないやり方だったでしょう。


この問題はそれほど重要でも火急でもないことがらでした。
にもかかわらず、
パウロが以前に自分では訪れたことがない教会に
この手紙の部分を書いたことを信ずるに足る理由が、私たちにはあります。
エフェソに長期間滞在したパウロが
手紙で26人だけに対してだけ挨拶を送り、
他の人々の名前を記さなかったとしたら、
一体エフェソの教会の信徒たちはどのように思ったことでしょうか。
26人より多くのエフェソの信徒たちのことを知っていたはずのパウロが、
なぜもっと多くの人々に挨拶を送らなかったのでしょうか。
それに加えて、
挨拶のリストにある人々の名前の多くは、
たとえばエフェソよりもローマで発見された碑文のほうに
はるかにたくさん見出される名前なのです。
ですから、
古くからある考え方に素直に従うのが一番よい、という結論になりそうです。
それに、
ある手紙の挨拶を他の手紙の挨拶として末尾に付けることには、
いったいどのような利益があるというのでしょうか。