フォイベと、パウロの女性嫌悪について 16章1〜2節(その1)
パウロはローマの信徒たちに、
コリントの港町ケンクレアの教会の「僕」フォイベについて
心のこもった推薦文をしたためています。
この短いメッセージから私たちは
驚くほど多くの内容を読み取ることができます。
とりわけ、教会の「僕」(ギリシア語で「ディアコノス」と言い、
教会での執事の職に相当します)としては女性も働くことができた、
ということです。
このことは聖書のどの他の箇所でも禁じられていません。
教会の初期の頃から、多くの女性が執事として働いたことがよく知られています。
彼らのうちの多くの者は「女性執事」という名称で呼ばれました。
この執事の職は教会の牧師職(ギリシア語で「エピスコポス」と言い、
英語の「ビショップ」(教会長)という言葉の元になっています)とは異なり、
教会を指導したり教えたりする職務ではありませんでした。
パウロは女性が教会の礼拝で教えることを禁じており、
この点について非常に厳しく命じています
(「コリントの信徒への第一の手紙」14章26〜40節、
および「テモテへの第一の手紙」2章9〜15節)。
「コリントの信徒への第一の手紙」11〜14章全体は、
教会の礼拝について語っています。
教会には礼拝以外の分野で、
女性が教会での職に就いて神様の御言葉に依り頼みながら行うことができる
実に多様な仕事が昔からありましたし、今もあります。
それゆえ、パウロが伝える神様の御言葉を背景にして考えるとき、
女性がそれ以外の働きを行うこと
(例えば、礼拝で牧師として働くこと)は無謀であり、
その行為に神様からの祝福が伴っているかどうかは
極めて疑わしいと言わざるをえません。