信仰は活動的な愛を生み出します 12章9〜21節(その2)
パウロのこの手紙がようやくこの段階になって
「キリスト信仰者の生き方」について語っている理由を
私たちはここで理解します。
「彼らの喉は開いたままになっている墓です。
彼らはその舌で人を欺き続けています。
彼らの唇の下にはまむしの毒があり、
彼らの口は呪いと苦々しい言葉とで満ちています」
(「ローマの信徒への手紙」3章13〜14節)。
このような人間の状態は
キリスト信仰者にふさわしいものではありません。
しかし実は、もともと私たちはこのような者なのです。
それでも、私たちの中に住んでおられるイエス様は
私たちの心の中に真の愛を注ぐことができます。
このことが実現するのは、
イエス様が私たちから石の心を取り除き、
その代わりに肉の心をくださった後です。
この「石の心」と「肉の心」という表現は
旧約聖書の「エゼキエル書」に由来しています。
「そして、私は彼らに一つの心を与え、
彼らの内に新しい霊を授け、
彼らの肉から石の心を取り去って、肉の心を与えます」
(「エゼキエル書」11章19節)。
イエス様が私たちを愛してくださっていることを
実際に見ることができた後で、
ようやく私たちは他の人たちに仕えることができるようになります。