2015年5月15日金曜日

「ローマの信徒への手紙」ガイドブック 8章1〜11節 肉の律法と御霊の律法(その2)


肉の律法と御霊の律法 8111節 (その2)


神様の御旨、つまり神様の律法に従って生きることにより、
人間は神様の御前で義と認めていただけるはずでした。
しかしすでにパウロが述べたように、
これは誰にとっても不可能なことです。
それゆえ律法は、救いの道としては人間には役に立ちません。
それで神様は、もう一つの救いの道を人々のために開けてくださいました。
御自分の御子を人としてこの世に遣わしてくださったのです。
御子は自らの身体を十字架で犠牲として捧げることを通して、
罪深い存在であるすべての人間の
すべての罪のすべての罰を引き受けてくださいました。
こうして私たちは神様の義をいただきました。
キリストが私たちの身代わりとして
罪の呪いをすべて引き受けてくださったからです。


もっとも私たちは、
律法と完全に離れて生活しているのではありません。
人間は自分勝手な生き方をしてよいはずがないからです。
しかし、何かがすっかり変わったのも確かです。

「戒めに従うのは難しい」、と文句を言って自分の欲望に押し流され、
罪深い生活に陥ってはいけません。
私たちは神様から聖霊様という賜物をいただいていますが、
「肉」すなわち人間存在は、いつであれ神様とその戒めに反抗します。

ところが御霊をいただいている人間は、神様と仲良く生きています。
その一方で、他の人と同様にキリスト信仰者にも、
依然として罪深い肉がつきまとっているのも確かです。
この肉は罪深さのゆえに死の裁きの宣告を受けています。

私たちの身体はいつか必ず死を迎えるので、
誰もこの死から逃れることはできません。
しかし、私たちのためにはキリストの御霊がおられます。
この御霊は、私たちが罪と戦うように導いてくださいます。
私たちは、罪深い者であるとともに聖とされた者でもあるのです。

そして神様が、
御霊によって死者の中から私たちの死せる身体を復活させて、
真の勝利者となられます。
このことが実現する時に私たちの戦いはようやく終わり、
私たちは完全に聖なる者とされます。