2015年3月30日月曜日

「ローマの信徒への手紙」ガイドブック 7章14〜25節 この罪深き、聖なる者!(その5)



この罪深き、聖なる者! 71425節(その5)

「神様の身内の者」とされたはずの人にとって、
それでも万事がうまく運ぶわけではないことに気がつくのは、
かなりの動揺をもたらすことかもしれません。

神様が私たちに、
私たち自身のありのままの姿を少しでもお示しになろうものなら、
私たちはそのあまりのひどさにすっかり希望を失ってしまうかもしれません。
もう罪がないはずだと私たちが思いこんでいるところからさえも、
あいかわらず罪が見つかってしまうことになるからです。
隣り人や、友だちや、自分の家族との関係からも、罪が見つかります。
また、行いや、言葉や、思いの中にも、依然として罪が残っています。

私たちの信仰生活が様々な罪で満ちている、という事実は、
正視には耐えられないほど衝撃的なことかもしれません。
信仰生活は、不信仰と不確実な事柄であふれかえっています。
人間が神様の御旨に対して根強い疑いを抱いていることが、その一例です。

私たちは自らの罪深さを嘆くこともしませんし、
神様が憎まれる事柄を憎むこともしません。
神様の愛についても、
本来なら私たちが喜びに満たされるはずの事柄なのに、そうなりません。
これらのことが罪でなくて一体何だというのでしょうか。
要するに、私たちは文字通りに、神様の栄光を欠く罪深い存在なのです。

もしも神様が私たちを裁き始めるなら、
私たちは全員、主の御前から永遠の滅びの世界へと落下して行くほかありません。