2015年3月13日金曜日

「ローマの信徒への手紙」ガイドブック 7章14〜25節 この罪深き、聖なる者!(その3)


この罪深き、聖なる者! 71425 (その3)

「私は惨めな人間です。
誰がこの死の身体から私を救ってくれるのでしょうか」(24節)。
これはパウロの心からの嘆きの言葉です。
その同じ心からは、神様への感謝も出てきます。
キリストは人間の罪の罰の一切を代わりに引き受けてくださいました。
そのおかげで、罪深い人間は「神様の側に属する者」とされたのです。


キリスト信仰者は、他のことと比べて、
とりわけ自分の罪深さと弱さに関しては、
それらを瞬く間に忘れてしまう傾向があります。
この世にいる限り、彼らは、
自分の罪深さを気にもかけず、悲しみもしないで
過ごしていることがしばしばあります。

ところが、ひとたびキリストの意味がわかるようになると、
今まで雑然としていたすべての事柄が
徐々に整理整頓されていくようになります。

キリストを信じるようになったばかりの人は、
自分自身の罪深さを過小評価しがちです。
その罪の内容は、たとえば
コーヒー依存症だったり、
異性を視線で追うことだったり、
過去の趣味への執着だったりします。

人間は、心が神様に向かって燃えている時には、 
神様が捨てるように望んでおられる事柄を素直に捨てて、
ひたすら主に向かって生きて行く心の準備をするものです。
こうした態度には、
信仰生活に入ったばかりの人が周囲に放つ
初々しい愛の香りが漂っています。

ですから、
信仰生活に入ってまだ日が浅い人に対しては、
厳しすぎる態度をとってはいけません。
もちろん、しばらくすると神様は、
もう少し深い世界を眺めるようにとその人を教えてくださいます。
ただし、このことが実現するためには、
聖書に基づく「律法と福音」についての教えが
その人に正しく宣べ伝えられている必要があります。