終わりのメッセージ(6章)(その1)
「洗礼とは契約の内容を守ることです」(その1)
洗礼は、神様から贈られた証書です。
神様が私たちに賜ったこの証書ほど素晴らしい遺言状を残すことができる者は、
他には誰もいません。
聖なる洗礼を通してのみ、私たちは、
救い主との個人的な親しい関係の中に入れていただけるのです。
洗礼の意味を誤解する人が出てくるのは、無理もありません。
洗礼を受けている人たちのうちの全員が
信仰を持って生きている訳ではないからです。
しかし、
キリストに喜んでいただけるような生き方をするために、
神様からのこの賜物に感謝して、
日々自己中心的な生き方を正していく人は
誰であれ、キリスト信仰者なのです。
神様からいただいたこの尊い「相続財産」を守る人は、
誰であれ、神様の子どもなのです。
そして、キリスト御自身が
その人の「神様の子ども」という立場を守ってくださっています。
堅信式は、洗礼を通して受けた神様からの贈り物を、
私たちがこれからもしっかり守って行くことを公に表明する場です。
「キリスト信仰者として生きること」に関わる一切の事柄も、
神様からのこの賜物をしっかり守って行くことにつながっています。
それは、
「主よ、どうか今日も私を用いてください」、
という毎日新たになされる態度表明でもあります。
主は、洗礼を受けている人たちを、
御自分と共に積極的に活動していくように招いておられます。
「誰であれ私の後について来たいと思うなら、
自分を捨て、日々自分の十字架を負い、私に従いなさい」
(「ルカによる福音書」9章23節)。