2014年12月19日金曜日

「ローマの信徒への手紙」ガイドブック 第6回目の質問


6回目の集まりのために 「ローマの信徒への手紙」6

この章でパウロは、罪の赦しと、賜物としていただける義について、
多くの言葉を費やしました。
今ここで彼は、
「人は好き勝手にしたいことをやってもかまわない」、
という誤解が生じるかもしれないことを想定して、
慎重に話を進めて行きます。
キリストに属する者となるために洗礼を受け、罪を赦された人は、
もはや罪の中で生活するべきではなく、
むしろ罪と戦っていかなければならないことを、パウロは強調します。

1)聖なる洗礼は、私たちのために神様が行ってくださった御業です。
私たちは、その意味をちゃんと理解した上で、
洗礼の中に避けどころを求めることができているでしょうか。
「ローマの信徒への手紙」617節をもう一度読んでください。
信仰生活の中で、どのような時にあなたは、
洗礼の与えてくれる支えを特に必要としましたか。

2)パウロがここで洗礼の意味について語るのは、
キリスト信仰者が好き勝手に生きていてはいけないことを、
思い起こさせるためでした。
神様が人と結んでくださった洗礼という契約は、
教会の礼拝にほとんど参加しないキリスト教徒にとっては、
どのような意味を持っていますか。
また、罪と戦う術を学ぶためにはどうすればよいのでしょうか。


3)洗礼が完全に神様の恵みの御業であることを全面に押し出すと、
人は欲望の赴くまま自堕落に生きることになりはしまいか、
と危惧する人たちがいます。
しかし、本当にそうなのでしょうか。
この危惧に対して、キリスト信仰者として、
私たちはどのように答えることができるでしょうか。