2015年1月16日金曜日

「ローマの信徒への手紙」ガイドブック 終わりのメッセージ(6章)(その2)


終わりのメッセージ(6章)(その2)

「洗礼とは契約の内容を守ることです」

洗礼式は、キリスト信仰者の人生にとって、
たんなる過去の出来事ではありません。

洗礼式では、受洗者の上に十字架を切る習慣があります。
これは、
受洗者が全人生を通じて自らの十字架を積極的に担って行くことを
表しているとも言えます。

洗礼の恵みの中で生きることは、 
目減りしない莫大な相続財産を日々紙幣やコインに両替して行く過程に
なぞらえることができるかもしれません。

洗礼が受洗者のその後の人生を覆い尽くすほど大事な出来事であることを
正しく理解できるように、
私たちは霊的に成長して行かなければなりません。

遺憾ながら、現代の教会では、
洗礼式や堅信式がたんなる通過儀礼となってしまっている傾向があります。
そして、洗礼式や堅信式が
それらを受けた人々のその後の人生にどのような影響を与えるかについては、
関心が払われない場合が多いようです。

しかしそれとは異なり、
初めの頃の教会のキリスト信仰者たちは、
個々の信仰者だけではなく教会全体が「水の上に建てられている」
(使徒教父からの引用)、という事実を信仰の基点としていました。

洗礼を通して私たちは、
死者の中からの復活の恵みを
相続財産として受け継ぐ権利をいただいています。
ですから、この世の高価な品々は、それほど大切なものではなくなります。

これほど素晴らしい相続財産があるのに、
今までとは違う生き方をする勇気をもてないようなら、
いかにも奇妙だと言わざるをえないでしょう。


(レイノ•ハッシネン)