洗礼と聖め
「ローマの信徒への手紙」6章
はじめに(その1)
パウロは5章を、次のような素晴らしい福音の言葉で閉じます、
「罪が大きくなったところでは、恵みも満ちあふれるものとなりました」
(5章20節)。
神様の律法が私たちの心に触れる時、
私たちは神様の御前で、罰せられるのが当然の罪人である、
という自覚を与えられます。
聖書にもあるように、神様は、
親が悪いことを行った場合、
しかも、その子孫に当たる者たちが神様を憎んでいる場合には、
彼らに対して、
その親の悪行にゆえに何代にもわたって罰を加えられる方です。
しかし、その一方で、福音は、
キリストの十字架を私たちに思い起こさせ、罪の赦しについて語ります。
こうして、地獄と神様の怒りとは脇に退きます。
そして、その後に残るのは、
私たち罪深い者に対する、神様の燃えるような愛だけになります。
「私は、主、あなたの神、熱情の神であるから、
父たちの罪について、私を憎むその子たちに対して
三代、四代にわたって罰を与えます。
しかし、私を愛し、私の戒めを守る者たちに対しては、
千代に至るまで恵みを施します」(「出エジプト記」20章5〜6節より)、
と書いてある通りです。