2014年10月3日金曜日

「ローマの信徒への手紙」ガイドブック 終わりのメッセージ(5章)


終わりのメッセージ(5章)

古いアダムはあいもかわらず

古いアダムは断食についての話を耳にしました。
彼はフッと笑って、慣れた素振りで身をかわしました。
そして、またしても傷を負わずに済みました。
しかもその際、彼はキリスト教的に見える理由を持ち出したのです。

キリストの復活を祝するイースターに先立つ時期である受難節は、
「断食の時期」とも呼ばれます。
十分な栄養が摂取できない時代に、
断食はイエス様や使徒たちや他のキリスト信仰者たちにとって必要なことでした。

「でも、高い生活水準の世界に住んでいる私には関係のない話だね」
(アダム)。

十字架にかかったイエス様は渇いた口で、「私は渇く」、と言われました。

「でも、私がコーヒーを飲む習慣については、誰にも文句なんか言わせないぞ」
(アダム)。

イエス様が大祭司の尋問を受けていた時には、鶏の鳴く声が唯一の音楽でした。

「ステレオでお願いね」(アダム)。

救い主は、あざけられ暴力を受ける前に、みすぼらしい衣を着せられました。

「今流行の服以外を着るなんて、考えられない」(アダム)。

朝早く聖書を読むのは、もちろんよいことです。

「ありがとう。でも、新聞の方がもっと興味深い」(アダム)。

イエス様は自分を捕らえに来た敵対者たちに向かって、落ち着いて話されました。

「私が呪いの言葉をぶつける相手は、そうされるのが当然の奴らなのさ」
(アダム)。

必要とする人々に自分のお金を定期的に分け与えるのは、道理にかなっています。

「自分が心から喜んでお金をあげられるようになる日を待つとしよう」
(アダム)。

どうして、ほかでもない私が節制して生きて行かなければならないのでしょうか。

「私は恵みによって救われているんだからさあ(そんなこと必要ないよね)」
(アダム)。

レイノ ハッシネン(一部変更しました。訳者)