2011年8月22日月曜日

「ヨハネの黙示録」ガイドブック はじめに

  
はじめに
 
「ヨハネの黙示録」は新約聖書の中でも特異な書物です。
将来起こる出来事を描いている箇所は新約聖書の中ではこの書物以外にもあります。
たとえば、「終末」についてのイエス様の教えがあげられます(「マタイによる福音書」24章、「マルコによる福音書」13章、「ルカによる福音書」21章など)。
しかし、このテーマに焦点をあてた書物は「ヨハネの黙示録」だけです。
 
聖書の中でこの「ヨハネの黙示録」ほど内容について議論を巻き起こしてきた書物はほかにありません。
この書物をわけのわからない幻が次から次へと出てくる本とみなす人々の中には、この本をまるごと捨ててしまいたいと思っている人さえいます。
しかしまた、ある人々にとってはこの書物は新約聖書の中でも最愛の書物となっています。
彼らは新約聖書の他のどの書物よりもこの書物を熱心に読み、この書物を通して世界の出来事とその意味を説明しようと試みます。
「ヨハネの黙示録」について人々の意見が対立しているのは、別に最近始まったことではありません。
教会の歴史を通じて「ヨハネの黙示録」は疎まれたり愛されたりしてきた書物なのです。
すでに初期の教会でも、「ヨハネの黙示録」を聖書に取り入れるべきではない、と考える人たちがいました。
その一方では、まさに「ヨハネの黙示録」に聖書の他の書物以上の価値を見出す人たちもいたのでした。
  
マルティン・ルターの「ヨハネの黙示録」に対する態度には注目すべき点があります。
1522年にこの宗教改革者は新約聖書のすべての書物に序文を記しました。
その際「ヨハネの黙示録」に対して彼は非常に否定的な態度をとり、こう書きました、
「私はこの書物を使徒的でも預言者的でもないとみなしています。(中略)私の霊はこの書物に対して違和感を覚えます」。
「ヨハネの黙示録」を嫌ったり軽んじたりする人々はしばしばこのルターの序文を引き合いに出し、「宗教改革者もこの書物を大切にしなかったのだから、どうして私たちがそれと本気でつきあえるだろうか」、などと言い放ちます。
しかしそう言うときに彼らは、おそらく故意に、ルターが後年どんなことを書いているかについて忘れています。
1530年、ルターは「ヨハネの黙示録」についての新しい序文を記しました。
今回は彼はこの書物に対して前とはまったく異なる態度をとっています。
「ヨハネの黙示録」が難しい書物であることを彼は認めています。
にもかかわらず、それが神様の啓示の一部であり聖書の他の書物とまったく同様に尊いものである、ということが今やルターには明瞭でした。
宗教改革者がこの書物について後になって書き記したことは、前に書いたことよりも重視されるべきです。
1530年に書かれた序文は、1776年度版の大部分のフィンランド語聖書に入っています。
そこでルターは「ヨハネの黙示録」を紹介するだけではなく、説明も与えています。
ですから、ルターの序文は読む価値が大いにあります。