2011年6月17日金曜日

「コリントの信徒への第一の手紙」16章5~12節 現地訪問

 
現地訪問 16章5~12節
 
使徒パウロはエフェソからこの手紙を書いています。
彼はそこから船でコリントへと手際よく渡ることができました。
パウロは使徒の教会視察としての旅をつづける予定でした。
あきらかに彼は、同じ旅行の行程で、マケドニアの諸教会、テサロニケ、フィリピ、べレアの信徒たちと連絡を取り使徒としての義務を果たすことをめざしていました。
また、パウロはコリントにしばらく滞在する予定でした。
しかし、「コリントの信徒への第二の手紙」からわかるように、この計画は実現しませんでした。
パウロはコリントを訪れはしましたが、早急にその地を離れるべきであるとの判断を余儀なくされたのです(このことについては、このガイドブックの「はじめに」の部分を参照してください)。
パウロがコリントの信徒たちから派遣されて宣教の旅を継続する、などということは夢想すらできないひどい状況だったわけです。
 
エフェソにパウロはペンテコステの時期まで滞在する予定でした。
ユダヤ人たちはペンテコステを「レビ記」23章15~22節の規定に従ってお祝いしました。
このお祝いはイースターの50日後に行われました。
ここでパウロがユダヤ教のペンテコステについて話しているのか、それとも、キリスト教のペンテコステ(聖霊降臨)について話しているのか、はっきりしません。
エフェソでは、ある人たちは福音を信じ、またある人たちは福音を憎むようになりました。
エフェソでパウロの身の上に何が起こったのか、その詳細を私たちは知りません(15章32節を参照してください)。
「使徒の働き」には「大騒乱があった」と記されています(19章)。
熱心に福音の側に立つ者もいれば、本気で福音に反対する者もいました。
パウロにとってこれは他のところでも経験済みの状況でした。
  
テモテがコリントに来ようとしていたのは、まず間違いありません。
それに対して、アポロは事態の沈静化を待っていました。
1~4章からわかるように、多くのコリントの信徒たちはアポロをパウロの競争相手とみなしていました。
今パウロは、少なくとも彼とアポロという二人の説教者の間には仲違いがないことを示そうとしています。
アポロは確かに使徒パウロとは独自の行動をとっていて、彼の熱心な忠告にも耳を貸そうとはしません。
にもかかわらず、アポロは「兄弟アポロ」であって、パウロはアポロがコリントにいることに対して何の反対もしません。
むしろ逆です。
私が想像するに、コリントの教会は、今やあまりにも手がつけられない状態になってしまい、アポロにしても、このような「蜂の巣」に鼻を突っ込むような真似は避けたかったのでしょう。
  

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