2010年9月20日月曜日

「コリントの信徒への第一の手紙」 牧会のプロとして

牧会のプロとして
  
コリントの教会では、霊的な面と肉的な面とが奇妙に一体化していました。
教会員の中にはさまざまな恵みの賜物をいただいた者が大勢いて、各々、自分の方がパウロよりも優れた専門家である、と自負していました。
一方では、港町の悪弊が教会に入り込み、ひどい罪がおおっぴらに行われていました。
パウロがこの愛する問題だらけの教会にどのような手紙を書いているかを読むのは、とても興味深いものがあります。
パウロは、自分で行ったことがないローマの教会に対しては、慎み深く礼儀正しい手紙を書きました。
今回はそうではありませんでした。
パウロは、ガラテアの教会に対しては、福音の核心を弁護するために、怒りのほとばしる手紙を書きました。今回は怒りを爆発させることもありませんでした。
パウロは「コリントの信徒への第一の手紙」で、できうるかぎり慎重に、コリントの信徒に対して自分自身の証をしています。
パウロは、コリントの教会が彼の教えを受け入れることを信じ、コリントの信徒が愛用している言葉遣いを採用しています。
もっとも、時には「ガラテアの信徒への手紙」で周知のパウロの鋭利な言葉の刃が飛んでくることもあります。
そうした箇所ではパウロは、コリントの教会に自分勝手に活動する余地を微塵も与えてはいません(「コリントの信徒への第一の手紙」5章、14章)。