2026年4月20日月曜日

「テモテへの第二の手紙」ガイドブック 「テモテへの第二の手紙」4章1〜8節 私は自分の仕事をやり遂げた(その2)

私は自分の仕事をやり遂げた(その2)

「テモテへの第二の手紙」4章1〜8節


 

「しかし、あなたは、何事にも慎み、苦難を忍び、

伝道者のわざをなし、自分の務を全うしなさい。」

(「テモテへの第二の手紙」4章5節、口語訳)

 

教会の責任者であるテモテは

異端教師たちの人気の高さや聴衆たちの反対に惑わされることなく

何が真理かを見極めて福音を宣教していかなければなりません。

 

「わたしは、すでに自身を犠牲としてささげている。

わたしが世を去るべき時はきた。

わたしは戦いをりっぱに戦いぬき、

走るべき行程を走りつくし、

信仰を守りとおした。」

(「テモテへの第二の手紙」4章6〜7節、口語訳)

 

今や死が間近に迫っていたパウロは

「すでに自身を犠牲としてささげている」と言っています。

なお、旧約聖書の「民数記」15章や28章には

「主への捧げ物」についての記述があります。

 

信頼のおけるキリスト教の古い伝承によれば、

パウロは剣で殺害されました。

彼は信仰のゆえに自分の血を流すことになったのです。

 

「今や、義の冠がわたしを待っているばかりである。

かの日には、公平な審判者である主が、それを授けて下さるであろう。

わたしばかりではなく、主の出現を心から待ち望んでいたすべての人にも

授けて下さるであろう。」

(「テモテへの第二の手紙」4章8節、口語訳)

 

「世を去るべき時」はパウロにとってキリストの御許に辿り着くこと

(「フィリピの信徒への手紙」1章23節)や

信仰の勝利の印である「義の冠」をいただくことを意味していました。

 

ここでもパウロはキリスト信仰者のこの世での信仰生活を

運動競技にたとえています

(「コリントの信徒への第一の手紙」9章24〜27節、

「フィリピの信徒への手紙」3章12〜16節、

「テモテへの第一の手紙」6章11〜12節、

「テモテへの第二の手紙」2章5節)。

 

人間にとってこの世での生活がすべてではないこと、

そしてこの人生の後にようやく「目的地」に辿り着けることを

パウロははっきり知っていました

(「使徒言行録」20章24節、

「コリントの信徒への第二の手紙」5章1〜10節)。

 

パウロはローマ皇帝ネロから

有罪の死刑判決を言い渡されるのを待つばかりの身となっていました。

パウロは神様から

「キリストへの信仰のゆえに義とされた者」

という宣言をすでに受けていましたが、

信仰にあって死んだ後になって

ようやく義の栄冠と永遠の命を神様からいただけるので、

その時を待ち望んでいたのです。