2024年5月23日木曜日

「テモテへの第一の手紙」ガイドブック 「テモテへの第一の手紙」2章8〜15節 教会における男性と女性(その5)

「テモテへの第一の手紙」ガイドブック「テモテへの第一の手紙」2章8〜15節

教会における男性と女性(その5)

「女は静かにしていて、万事につけ従順に教を学ぶがよい。」

(「テモテへの第一の手紙」2章11節、口語訳)

 

女性が教える権利についてパウロが否定的になったのはユダヤ教の影響である、

という主張がなされることがあります。

しかしユダヤ教は女性に対してパウロよりもはるかに厳しい態度を取っています。

エルサレム・タルムードでは、

女にトーラーを教えるくらいならトーラーを燃やしてしまったほうがよい

とさえ言われています

(「トーラー」とは律法のことであり旧約聖書の最初の五つの文書を指します)。


それとは対照的に、イエス様やパウロは女性たちにも聖書を教えました。

また女性がキリスト教について他の人に個人的に教えることについて

パウロは反対していません

(「使徒言行録」18章26節、

「テモテへの第一の手紙」5章10節、

「テモテへの第二の手紙」1章5節、3章15節、

「テトスへの手紙」2章3〜5節、

「ペテロの第一の手紙」3章1節)。

これは教える相手が男性である場合も含まれていました。


しかしパウロは女性が教会の教師(牧師)として教えることについては

容認しませんでした。

 

上掲の節にある「従順」も現代ではあまり評判がよくない考え方ですが、

社会の中の様々な組織(例えば会社、軍隊、政府など)は

今でも上司と部下の上下関係に基づいて構成されています

(「コリントの信徒への第一の手紙」14章40節)。

 

キリスト信仰者はまず自分自身がキリストの下に立たなければなりません

(「エフェソの信徒への手紙」5章21〜25節)。

そうなった後でようやく男性は女性が自分の下に立つことを期待できるのです。

とはいえ、男性は女性に対して暴君や独裁者であってはなりません。

男性は自身がキリストの下に立つ覚悟をどの程度もっているかに応じて

女性が自分の下に立つことを期待できるとも言えるでしょう

(「「テトスへの手紙」2章4〜5節も参考になります)。

 

エフェソはディアナあるいはアルテミス崇拝の中心地でした

(「使徒言行録」19章34節)。

そしてグノーシス主義はギリシア人の異邦の諸宗教からも影響を受けていました。

 

グノーシス主義では蛇とエバは真理の教師とされ、

女たちが教会の指導者となりました。

また子どもを産むことは罪とみなされました

(これらの主張と次の聖書の箇所を比較してください。

「テモテへの第一の手紙」2章15節、4章3節、5章14節)

 

「またアダムは惑わされなかったが、女は惑わされて、あやまちを犯した。」

(「テモテへの第一の手紙」2章14節、口語訳)

 

エバがサタンの悪巧みに誘惑されたことをパウロはこの節で強調しています

(「コリントの信徒への第二の手紙」11章3節も参照してください)。

エバではなくアダムが長子であり最初の人間でした。

神様御自身がこの世界に特定の秩序を設定なさったのであり、

人間の側で勝手にそれを変更することは許されることではありません。

 

「しかし、女が慎み深く、信仰と愛と清さとを持ち続けるなら、

子を産むことによって救われるであろう。」

(「テモテへの第一の手紙」2章15節、口語訳)

 

この節の「子」をイエス様に当てはめている翻訳もあります。

しかしこの解釈には相当無理があります。

「人は信仰を通して義とされるという信仰義認の教えを

なぜパウロがこのようにヴェールに包むようなやりかたで述べているのか」

という疑問が出てくるからです。

パウロがここでグノーシス主義の「秘密の知識」を喧伝している者たちを相手に

戦っていることを踏まえるとき、

それと同様な秘密めいたやり方でパウロが真理を語っていると考えるこの解釈は

一層不自然に思われます。