2024年5月13日月曜日

「テモテへの第一の手紙」ガイドブック 「テモテへの第一の手紙」2章8〜15節 教会における男性と女性(その3)

教会における男性と女性「テモテへの第一の手紙」2章8〜15節(その3)


すでにべてきたようなグノーシス主義の世界観にはくの異説があるが、

互いに共通している部分もある。


天界のエピノイア = ピスティス = ソフィア

あるいはらかのばれる存在が、

この悪の世界に新しい人間たちが

これ以上生まれてこなくてもよいようにするために、

りの創造神結婚どもの出産から解放されるように

人間たちを教育することを主な目的として活動しているというである。


このような啓蒙を受けた女たちは「母 = 父」の種子である。

彼らは男に対しても女に対しても権威ある者として登場し、

彼らに真理を教えることができる。


このような世界観に基づいて形成される思想的な背景に照らし合わせると、

パウロの意図することが浮き彫りになってくる。


グノーシス主義者たちは

創造の秩序を破壊して男性を支配下におく権能をイエスが女性に授けた

と主張した。

それに対してパウロはキリストの使徒として

この主張を容認できないと返答しているのである。


「男の上に立ったりすること」という時、

パウロはごくまれな単語(ギリシア語で「テンテオー」)を用いているが、

実はこれはグノーシス主義者たちが使用していた専門用語である。

この単語は無条件の権威を手中に収めることと、

反論を一切許さない権威によって法を制定することを意味している。

キリスト信仰者たちはそのような権威が実際に存在することを知っている。

しかしそのような権威は神様しか有しておられないものである。


神様からいただいた使命に基づいて御言葉を教会に宣べ伝える時、

福音宣教者はこの権威を付与されている。

最初期の教会では使徒たち、預言者たち、正しい御言葉の僕たちは

この権威に基づいて宣教できることが認知されていた。


しかしグノーシス主義者たちは

女たちも同じことができると主張しているのである。

それに対してパウロはそれが神様の御意思ではないことを示す。


女は教師として皆の前に現れて

「男の上に立ったりすること」をするべきではない。

これは妻が夫の上に立ってはいけないという意味ではなく、

礼拝における秩序にかかわる問題である。


前掲の「テモテへの第一の手紙」2章11〜15節の内容は、

神様のお遣わしになった教師また指導者として

礼拝で皆の前に立つことを示唆していると理解されるべきである。

「静かにしている」(ギリシア語では「エン・ヘーシュキアー」)とは

「静かに聴く」ということであり、

ここでは礼拝で教えを聴くことを意味している。

「ヘーシュキアー」は沈黙、静けさ、聴くことを意味する。」


Bo Giertzの本からの引用はここまでです。訳者注)