2024年2月15日木曜日

「テモテへの第一の手紙」ガイドブック 「テモテへの第一の手紙」2章1〜7節 すべての人は救いへと招かれている(その2)

すべての人は救いへと招かれている(その2)

「テモテへの第一の手紙」2章1〜7節

 

「神は唯一であり、

神と人との間の仲保者もただひとりであって、

それは人なるキリスト・イエスである。」

(「テモテへの第一の手紙」2章5節、口語訳)

 

どうして神様はすべての人が救われることを望まれるのでしょうか。

良い人々だけを御許に招待なさることもできるのではないでしょうか。


しかし「良い人々」はそもそもこの地上に存在しないため、

彼らを招こうとしても意味がありません。


この問題は聖書の啓示する神様こそが唯一の真の神であることと

本質的に深くかかわっています

(「イザヤ書」44章6節、45章5、14、18、22節、46章9節)。


人を救ってくれる他の神は存在しません。

神様と人の間を仲介する存在もお一人しかおられません。

このお方こそがイエス・キリストなのです

(「イザヤ書」42章8節、48章11節)。

 

「わたしたちには、父なる唯一の神のみがいますのである。

万物はこの神から出て、わたしたちもこの神に帰する。

また、唯一の主イエス・キリストのみがいますのである。

万物はこの主により、わたしたちもこの主によっている。」

(「コリントの信徒への第一の手紙」8章6節、口語訳)

 

救われることを願うすべての人間は神様にお仕えするのが当然です

(「イザヤ書」45章23節)。

天の御国に通じる道は次の聖句が教えているように

ただ一つしか存在しないからです。

 

「イエスは彼に言われた、

「わたしは道であり、真理であり、命である。

だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない。」

(「ヨハネによる福音書」14章6節、口語訳)

 

「彼は、わたしたちの罪のための、あがないの供え物である。

ただ、わたしたちの罪のためばかりではなく、全世界の罪のためである。」

(「ヨハネの第一の手紙」2章2節、口語訳)

 

もしも神様がイエス・キリストという救いの道に招いてくださらないなら、

人間が救われる可能性はまったくありません。

 

しかしここで考えるべきことがあります。


神様がすべての人の救いを望んでおられるということは、

すべての人が救われるという意味でもあるのでしょうか。


全能なる神様は御自分の望まれることを

いつでも実現できるはずではありませんか。


どうして神様が人間全員を救われないのかという問題は

私たち人間には完全には理解できない事柄です。

しかし聖書が明瞭に証しているように、

残念ながら天国に入れない人々も現実にはでてきてしまいます

(「テモテへの第一の手紙」1章18〜19節、4章10節、

「マタイによる福音書」23章37〜38節、

「ルカによる福音書」7章30節、

「ヨハネによる福音書」5章40節、

「使徒言行録」7章51〜58節)。


たしかにすべての人が救われることは原則的にはありえます。

しかし救われたがらない人々もいるということです。


どうして神様は人が不信仰に留まる可能性をあえて残して、

すべての人が是が非でも救われるように強制なさらないのでしょうか。


この疑問への答えはこの世では私たちに与えられないまま

謎として残されるのです

(「ローマの信徒への手紙」8章29節、

「ペテロの第一の手紙」1章2節)。