2024年2月12日月曜日

「テモテへの第一の手紙」ガイドブック 「テモテへの第一の手紙」2章1〜7節 すべての人は救いへと招かれている(その1)

 キリスト教会に与える生き方の指針

「テモテへの第一の手紙」2章

 

「テモテへの第一の手紙」の2〜3章では、

教会の礼拝はどのように行うべきであり、

教会に仕える職員たちはどのような者でなければならないか

について様々な指示が与えられています。

 

 

 

すべての人は救いへと招かれている

「テモテへの第一の手紙」2章1〜7節(その1)

 

律法学者エズラの時代(紀元前400年の中頃)に

ユダヤ人たちはこの世の権力者たちのために祈るようになりました

(「エズラ記」6章10節、7章23節)。


預言者エレミヤはバビロニヤに囚人として連れて行かれたユダヤ人たちに

バビロニヤのために祈るように奨励しました。

 

「わたしがあなたがたを捕え移させたところの町の平安を求め、

そのために主に祈るがよい。

その町が平安であれば、あなたがたも平安を得るからである。」

(「エレミヤ書」29章7節、口語訳)

 

パウロの時代のキリスト信仰者たちは

この世の権力者たちのために祈ることにためらいを感じていました。

ローマ帝国では皇帝を神として崇める偶像礼拝が支配的だったからです。

それに加えて

ローマ帝国はキリスト信仰者たちを迫害していたからです。


例えば「テモテへの第一の手紙」の書かれた時期の

皇帝ネロ(在位期間は54〜68年)の迫害で

パウロとペテロが殉教の死を遂げています。

 

「神は、すべての人が救われて、

真理を悟るに至ることを望んでおられる。」

(「テモテへの第一の手紙」2章4節、口語訳)

 

しかし神様はすべての人が救われることを望んでおられるため、

キリスト信仰者はすべての人のために、

すなわち迫害者のためにも祈らなければなりません。

 

ある中国人キリスト信仰者が信仰のゆえに投獄されました。

投獄や拷問から守ってくれない神様を信じる理由を拷問者が問いただすと、

このキリスト信仰者は

「もしそうでなければ、

いったい誰があなたがたにキリストについて語ることができるのか」

と答えたそうです。


迫害にもかかわらず

このキリスト信仰者は神様がすべての人を、

キリスト信仰者を拷問する者も含めて、

救いへと招いておられるとわかっていたのです。