2024年2月2日金曜日

「テモテへの第一の手紙」ガイドブック「テモテへの第一の手紙」1章18〜20節  忠実であれ!

 忠実であれ!

「テモテへの第一の手紙」1章18〜20節

 

「わたしの子テモテよ。

以前あなたに対してなされた数々の預言の言葉に従って、この命令を与える。

あなたは、これらの言葉に励まされて、信仰と正しい良心とを保ちながら、

りっぱに戦いぬきなさい。」

(「テモテへの第一の手紙」1章18節、口語訳)

 

ここでパウロはテモテに新たな指示を与えています

(1章3節も参照してください)。

テモテにはエフェソに残った目的があったのであり、

それを実現しなければならないのです。

 

パウロの同僚になった時にテモテは預言の言葉を受けたのだと思われます

(「使徒言行録」16章1〜3節、「テモテへの第一の手紙」4章14節)。

パウロの場合も自分が使徒としての召命を受けたことの確証として

テモテと同じように預言の言葉を神様からいただいています

(「使徒言行録」13章1〜3節、9章15〜16節)。

どちらの預言の言葉もパウロとテモテがキリストの福音の宣教者に

正式に任命されたことを明らかに証しています。

 

テモテがパウロと共に伝道の旅に出発したのは約12年前のことでした。

それ以来、テモテは自分に委ねられた使命に対して

忠実であり続けなければなりませんでした

(「テモテへの第一の手紙」6章20節)。

 

「ある人々は、正しい良心を捨てたため、信仰の破船に会った。

その中に、ヒメナオとアレキサンデルとがいる。

わたしは、神を汚さないことを学ばせるため、

このふたりをサタンの手に渡したのである。」

(「テモテへの第一の手紙」1章19〜20節、口語訳)

 

人々が心の内にかかえている疾しい良心は

しばしば様々な異端の教えの蔓延するきっかけを与えてきました。

人は自分の人生が神様の御言葉と調和していない時、

自分の生活を変えるのではなく、

むしろ神様の御言葉のほうを改変しようと試みるものだからです

(「テモテへの第一の手紙」3章9節、4章1〜2節)。

 

人が信仰を失ってしまうことは現実に起こりえます。

上節でパウロは二人の具体例を挙げています。

おそらくこれはエフェソの教会での出来事だったと思われます。

 

テモテへの第二の手紙」2章17〜18節にもヒメナオの名が出てきます。

その箇所によれば彼は復活がすでに起きたと主張しました。

 

「テモテへの第二の手紙」4章14節に述べられているアレキサンデルは

上掲の箇所のアレキサンデルと同一人物である可能性があります。

それに対して

「使徒言行録」19章33節に出てくるユダヤ人アレキサンデルは

別の人物であると思われます。

なお「アレキサンデル」は古典古代ではありふれた名前でした。

 

パウロが二人を「サタンの手に渡した」目的は

彼らが偽りの道から離れて正しい信仰へと戻るように促すことにありました

(「コリントの信徒への第一の手紙」5章1〜5節、

「コリントの信徒への第二の手紙」2章5〜11節も参照してください)。

これは具体的には

教会から除外すること、少なくとも聖餐式に参加できなくすること

意味していたと思われます

(「コリントの信徒への第一の手紙」5章13節、

「マタイによる福音書」18章15〜18節)。

 

上掲の箇所に書かれている事柄は

「テモテへの第一の手紙」がパウロの純正の手紙であることの

証拠のひとつとみなすことができます。

この手紙が何十年も後に書かれたのだとしたら、

その時点では事実上まったく意味を失っていた事柄について

なぜこれほど詳細に書かれているのかが説明できなくなります。

ヒメナオとアレキサンデルが実際には何十年も後の時代

(すなわち、この手紙がパウロ以外の者によって書かれたとされる時代)

に生きていたものと想定し、

かつパウロが彼らの異端を断罪することが

「テモテへの第一の手紙」1章19〜20節の目的であったとする仮説は

さすがに無理があります。

この場合に、

パウロは自分が死んでから何十年も後に起きた事件を

手紙で取り上げることになるわけですから、

手紙の読者はすぐにその矛盾に気が付くことでしょう。