2022年3月9日水曜日

「ヤコブの手紙」ガイドブック 真の愛は打算的ではない 「ヤコブの手紙」2章1〜9節(その1)

あなたの生き方が何に基づいているかはあなたの行いにあらわれている

「ヤコブの手紙」2章

 

真の愛は打算的ではない

「ヤコブの手紙」2章1〜9節(その1)

 

「わたしの兄弟たちよ。

わたしたちの栄光の主イエス・キリストへの信仰を守るのに、

分け隔てをしてはならない。

たとえば、あなたがたの会堂に、

金の指輪をはめ、りっぱな着物を着た人がはいって来ると同時に、

みすぼらしい着物を着た貧しい人がはいってきたとする。

その際、りっぱな着物を着た人に対しては、

うやうやしく「どうぞ、こちらの良い席にお掛け下さい」と言い、

貧しい人には、「あなたは、そこに立っていなさい。

それとも、わたしの足もとにすわっているがよい」と言ったとしたら、

あなたがたは、自分たちの間で差別立てをし、

よからぬ考えで人をさばく者になったわけではないか。」

(「ヤコブの手紙」2章1〜4節、口語訳)

 

ヤコブは実践的なキリスト教の教師であったと私たちは断言できます。

上掲の「ヤコブの手紙」2章の冒頭が彼の実体験に基づくものであることは

まちがいありません。

実例を通してヤコブは手紙の読者に教えようとしているのです。

 

この事件が起きたのが教会の礼拝においてなのか、

それとも何か他の状況においてなのかについては、

研究者の間には一致した見解がありません。

後者の状況の例としては

二人の教会員の間で争われる裁判の場を挙げることができます。

「コリントの信徒への第一の手紙」6章1〜7節は

ちょうどこのような事例に該当します。

しかしより自然な「事件現場」は通常の礼拝の場であったと思われます。

 

キリスト教の黎明期である当時、

キリスト教会用の会堂はまだ建造されておらず、

礼拝などの集会は誰か教会員の家で開かれていたと推定されます。

そのような家庭集会に二人の新しい人がやってきました。

一人は金持でもう一人は貧乏人でした。

そして金持は丁重に扱われ、貧乏人はぞんざいな扱いを受けたのです。

 

もちろんこの対比的な描写はかなり単純化されています。

よく知られているように、

最初期のキリスト教会の会員の大部分は貧しく、

奴隷の身分の人々も大勢いました。

貧しい人々が教会を訪れることは当時としては珍しくありませんでした。

ですから彼らが教会の人々からぞんざいに扱われるのは

決して一般的なやりかたではなかったはずです。

しかしその一方で、富裕者が礼拝に参加するのは当時は稀な出来事でした。

このことから、

なぜこのような事件が起きたのかの説明がつくのではないかと思います。

教会員たちは富裕者から教会がどのような利益を受けられるか想像して、

この新たな訪問者に対して大袈裟な歓迎の態度を示したのではないでしょうか。

それとは逆に、新たな貧者の来訪は教会の負担を増すことになります。

教会が面倒を見なければならない人間がもうひとり増えることになるからです。

 

ヤコブはこのような教会員たちの差別的な態度を厳しく裁いています。

そしてその理由を挙げています。

第一に、これは信仰的なことではなくこの世的なことにばかり関心を寄せる

まちがった態度です。

第二に、この態度は神様が自ら示してくださった模範に反しています。

神様は社会の貧しい人々の面倒を親身に見てくださったのだし、

今もそうしておられるからです。

パウロはコリントの信徒たちに次のように書いています。

 

「兄弟たちよ。あなたがたが召された時のことを考えてみるがよい。

人間的には、知恵のある者が多くはなく、権力のある者も多くはなく、

身分の高い者も多くはいない。

それだのに神は、知者をはずかしめるために、この世の愚かな者を選び、

強い者をはずかしめるために、この世の弱い者を選び、

有力な者を無力な者にするために、この世で身分の低い者や軽んじられている者、

すなわち、無きに等しい者を、あえて選ばれたのである。

それは、どんな人間でも、神のみまえに誇ることがないためである。」

(「コリントの信徒への第一の手紙」1章26〜29節)。

 

第三に、経済的な豊かさを基準にして人間を差別する態度は、

神様がすべての人々を分け隔てることなく扱ってくださる

公平さと矛盾しています。

このことについて旧約聖書の律法も次のように教えています。

 

「あなたがたの神である主は、神の神、主の主、

大いにして力ある恐るべき神にましまし、

人をかたより見ず、また、まいないを取らず、

みなし子とやもめのために正しいさばきを行い、

また寄留の他国人を愛して、食物と着物を与えられるからである。

それゆえ、あなたがたは寄留の他国人を愛しなさい。

あなたがたもエジプトの国で寄留の他国人であった。」

(「申命記」10章17〜19節、口語訳)。

 

第四に、人を差別する態度は

「自分自身を愛するように隣り人を愛しなさい」という神様の戒めに反しています

(「ヤコブの手紙」2章7節、「レビ記」19章18節、

「マタイによる福音書」22章34〜40節)。

 

しかしもちろん、他の人々を貶めることにならない場合には、

それぞれの人に対して、例えば大統領や首相など国の指導者たちに対して、

彼らにふさわしい敬意を表することはふさわしいことです。